【一惠さんの遺影の前で書籍を手にする寺嶋さん】

 「寡夫余生の彼の心は前向きにプラスの思考である。なぜなら、逝った妻の分も加えた二人分の人生を少しでも長く久しく実現させたいから」。三重県名張市富貴ケ丘6番町の寺嶋洸さん(90)が今年4月、「伊賀伴生(いがともき)」のペンネームで出版した、自身をモデルにした物語「結婚の野原」(文芸社)の一節だ。64年間連れ添い、7年間の介護の末に他界した妻・一惠さん(享年85)へのあふれる思いが小説の形でつづられている。

 岡山県出身で、60代前半まで関西圏で過ごし、定年後の65歳の時、一惠さんとともに、兵庫県から長女家族と前後して名張へ転居。30代から70代までジョギングを日課とし、体質改善のために始めた一惠さんと夫婦そろって国内外のマラソン大会に出場した。会社員時代は40代から長年日記をつけてきた。

 退職後は「何かに縛られずに文を書く自由さが面白い」と、「文章教室」のサークル活動に参加すると、ジョギングと同じように一惠さんも後から加わった。自身は今も俳句や川柳、短歌、作詞まで「下手の横好きの手を広げて」楽しんでいる。

 ある日、一惠さんが壁のカレンダーを見て「私、日が分からない」とつぶやいた。そこから寺嶋さんの介護の日々が始まった。

 一惠さんの認知症が進んでも、足腰が徐々に弱ってきても、ついには寝たきりになっても、会社員時代に現場作業などで力仕事も経験してきた寺嶋さんは、定年後に勤めた医療機関での介助の経験が生かせると、自宅での介護を続ける。どんな予測不能なことがあった時でも、耳元で「64年も一緒に暮らしてきたんだよ」とささやくとにっこりほほ笑む妻の姿に「私たちは夫婦だ」と実感する日々だった。

 一惠さんは亡くなる前の3年間、ほぼ寝たきりの状態で、「食事を作っている最中に眠りこけたりすることもたびたびあった」寺嶋さんだが、「これも一緒に生きてきた証かな」と苦笑い。葬儀の時、棺の中には、食べさせてあげられなかった最後の食事も入れ、「あの世へ行ったら立って歩ける脚になるように」と、腰や足元に花を手向けた。

「日々前向きに」

 ペンネームにも「伊賀の地で老々介護の形でともに生きた」妻への思いを込めた。「書いていると次の言葉や文章が出てくる」と言うように、心情を表す語彙力は豊富だ。現在は週2回通うデイサービスでの出来事やスタッフらとの会話を文章に残している。妻に捧げる詞を書いて曲をつけてもらった歌を遺影の一惠さんとともにCDで聞くのがささやかな楽しみだ。

 物語の冒頭に、1人で暮らす家の裏庭にやって来たつがいのチョウを「仲睦まじげで底抜けにうらやましい」と思いながらも「仲良くやるんだよ」と、優しい心で気丈に受け止める自身の姿を描写した場面がある。「妻とは64年間、人生というマラソンをともに走ってきた。これからも日々前向きに暮らしていくことで、妻も向こうで安心してくれる」と力強く語った。

 書籍は四六判104ページ、税込み1100円。伊賀地域の書店の他、文芸社のウェブサイト(https://www.bungeisha.co.jp/)からも購入できる。

2023年5月27日付844号5面から

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