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伊賀上野NINJAフェスタ2012チラシ

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伊賀上野NINJAフェスタ2012チラシ

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伊賀忍者はどのように発生してきたのであろうか。

 伊賀は四方を山に囲まれ、霧も多く、古来より里全体が隠れ里であり、抗争に敗れた者などが潜伏するのに好都合の地であった。

東大寺の荘園支配に武力で
忍者の産声「黒田の悪党」

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 平安から鎌倉時代にかけ、東大寺が伊賀を杣地、荘園として支配していくに至り、名張市に黒田荘(注1)という東大寺の最も重要な荘園が存在した。

 荘園名主の武士化が進んでくると東大寺の荘園支配に武力で抵抗する連中が現れた。その連中は、特に黒田荘を中心に活動していたので「黒田の悪党」と呼ばれた。彼ら は東大寺と抗争を繰り返すうちに勝つための戦い方を蓄積する。

 やがて、山間部に居座り、礫(つぶて)や火矢などのゲリラ戦術を得意とし、組織化された伊賀忍者発生の産声が上がる。

 かの有名な楠木正成(注2)も実は悪党として有名であり、伊賀と関係があった。忍術秘伝書の最高傑作『萬川集海』には楠木正成が忍術を使った例が取り上げられている。

 伊賀は古来より様々な抗争に巻き込まれている地で、東大寺と興福寺も荘園地をめぐり争っている。
 さらに、伊賀は役行者を祖とする山伏達の修験の地でもあり、大勢の渡来人も技術集団として住み着いていた。

荘園崩壊から戦国時代へ
連合組織「伊賀惣国一揆」

 荘園支配が崩れていく過程で、悪党は生き残るために様々な者達と融合し、地侍、すなわち伊賀衆となっていく。その後、戦国時代になり伊賀忍者が完成されると、ある者は傭兵として雇われ、ある者は伊賀衆の連合組織である伊賀惣国一揆(注3)に属することになる。



注1)黒田荘
 名張市黒田に存在した。板蠅の杣地として東大寺が支配し、平安期には東大寺領最大の荘園となる。弘安年間13世紀末に黒田荘下司大江一族が悪党として東大寺の荘園支配に反抗。以後戦国期まで悪党と東大寺の戦いが続く。

注2)楠木正成
 1294~1336年。河内国の豪族。元弘の変で後醍醐天皇に呼応して挙兵。河内赤坂城や金剛山千早城で幕府軍と戦い建武の新政に貢献。足利尊氏が建武政府に反乱を起こし、摂津湊川の戦いで戦死。

注3)伊賀惣国一揆
 16世紀中頃、伊賀は仁木氏が名だけの守護で、実際は国人11人が評定衆として一揆運営に当たり、国中の17歳から50歳迄の被官、足軽、百姓全てを動員し、他国から侵入してくる敵に対抗。「惣国一揆掟の事」と題する11箇条の掟が残る。

つづき...天正伊賀の乱