名張藤堂家の祖で江戸初期の武将、藤堂高吉(1579-1670)の肖像イメージ画が10月11日、三重県名張市丸之内の市総合福祉センターふれあいで初披露された。名張育成会が運営する「ワークプレイス栞」(百合が丘東9)のアーティスト、川口陽太郎さん(41)が制作。約250人が来場したこの日の歴史講演会に合わせて公開された。
高吉は織田信長の重臣・丹羽長秀の三男で、幼少時に羽柴(豊臣)秀吉の弟・秀長の養子となった。秀長の後継者が甥の秀保となった後、藤堂高虎の養子に。高虎に嫡男が生まれると跡継ぎの立場を離れ、名張に領地を与えられ、まちの礎を築いた。高吉本人を描いた肖像画は現存していない。
作品名は「藤堂高吉公〈若武者の夢 名君の道〉」。関ケ原の戦いに従軍した頃の若武者と、名張に移り住んだ頃の姿を重ね、背景に当時の名張の町並みを描いた。高吉の実父・丹羽長秀や実兄・丹羽長重の肖像画などを参考にし、ペンなどを使って約3か月かけて仕上げたという。川口さんは「時代に翻弄されながらも92年の長寿を全うした高吉公の生涯に思いを馳せる一助となれば幸い」と話した。
市教委によると、肖像イメージ画は14日から名張藤堂家邸に常設展示される。ポスターも制作し、11月ごろから公共施設や店舗に掲示する。
「豊臣兄弟!」時代考証、黒田教授語る

講演会では、NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」で時代考証を務める駿河台大の黒田基樹教授が「羽柴秀長と藤堂高虎・千丸(高吉)」と題して講演。高吉が秀長の養子となった後、秀吉の意向で高虎の養子になった経緯を説明した。秀長は養子縁組の解消に反対したものの、秀吉の強い主張を受け入れたとする、高吉の後年の記録も紹介した。
高虎については、秀長の生え抜きの家臣で最も出世した人物と指摘。軍事面では秀長軍の先陣を務め、外交面では徳川家康らへの取次役を担ったと説明した。黒田教授は、こうした高虎の立場も養子縁組の背景にあったとみている。
大河ドラマの時代考証関連では、秀吉や秀長が名乗った氏「豊臣」と苗字「羽柴」の違いについて解説。ドラマでは「豊臣家」という表現を避けたと説明した。また、「正室」「側室」も江戸時代半ば以降の言葉として使用していないと明かした。一方、高吉については「(ドラマで)残念ながら登場しない状況」と語った。
黒田教授は、高虎や高吉に関する史料は膨大で、全て集めるには何十年もかかり、1人ではできない作業だと指摘。地域ぐるみでの調査・研究に期待を寄せた。






