【閉幕後に公式キャラクター「ミャクミャク」のぬいぐるみを手に笑顔を見せる竹森さん=名張市新田で】
三重県ブースで勤務
10月13日に184日間の会期を終え閉幕した大阪・関西万博。関西パビリオンの三重県ブースでアテンダントを務めた名張市新田の竹森龍馬さん(18)は、約130日にわたって来場者を笑顔で迎えた。郷土愛と前向きな姿勢を武器に、「多様でありながら、ひとつ」のメッセージを発信する舞台で仕事をやり遂げた。

万博への憧れは、小学6年の時に芽生えた。1970年の大阪万博の資料映像で興味を持ち、開催決定のニュースに心が弾んだ。
2024年、ボランティアに応募するも落選。それでも諦めず、秋には三重県ブースのアテンダントに応募した。面接では県の魅力と地元への思いを熱弁し、12月に採用が内定。「メールを見て、めっちゃうれしかった」と振り返る。
採用後、2週間の座学で接客やクレーム対応、体調管理まで学び、更に1週間の現地研修で運営を体得した。研修で会場の夢洲を初訪問し、木造の大屋根リングの規模に息をのんだ。「ここで働けるんだ」と胸を熱くした。
名張から夢洲へ片道2時間通勤
開幕当初は緊張もあったが、上司やアテンダント仲間約20人の支えで乗り越えた。「人を笑顔にするには、まずは自分が笑顔でなければ」と気付かされた。
ユニホームは忍者をイメージした黒装束で、着るのに時間がかかったが、「かっこいい服ですね」と来場者に声を掛けられるたび、誇らしさがこみ上げた。
通勤は名張の自宅から電車で片道約2時間。勤務は2交代制で、朝番の日は午前6時過ぎに電車へ乗り込み、遅番の日は日付が変わる頃に帰宅した。
9府県が出展した関西パビリオンの中でも三重県ブースの人気は高く、会期中に最多の63万人以上が訪問。引き出しを開けて名物を見る展示が好評で、名張市のオオサンショウウオの模型は特に人気だった。「驚いて腰を抜かす人もいた。『三重が一番面白い』と言われるとうれしかった」と振り返る。来場者を迎える中で地元の人たちに会うこともあり、大阪府知事や俳優ら著名人にも遭遇。同僚との絆も深まり、「名張に遊びに来てくれる人もいた」と話す。

大阪メトロ中央線の運行停止で多くの来場者が帰宅困難になった8月13日も勤務日だった。名張へ帰ろうと夢洲駅まで来た時、大混雑に巻き込まれた。竹森さんも帰宅できなくなり、最終的に大阪に住む知人宅を頼った。
最終日の10月13日は閉幕の瞬間に関西パビリオン前でスタッフ同士で手を取り合い、「ありがとうございました」と声をそろえた。「泣きそうになりながら働いた日だった。終わる実感がなかった」と胸の内を明かす。
不登校の過去を乗り越え
中学時代は不登校を経験。知らない人と関わることや子どもと接するのが苦手だったが、万博で多くの人と出会い、自分が変わったと感じている。「子どもにも笑顔で話しかけられるようになった。説明もうまくなったと思う」と語る表情は自信に満ちる。
地元で「竹あかり工房きぼう」を営みながら、今年3月に通信制高校を卒業したばかり。「人生で一番多くの人と会った。今後は、新田の竹あかりを進化させたい。2年後の横浜花博にも関わりたい」と前を見据える。
















