朝夕の暑さはひと段落し、秋らしい気候に変わってきました。今回は、伊賀市のJR関西線・柘植駅から市境を越え、亀山市の加太駅に至る、通称「加太越」の約9・6キロを歩きました。(取材・山岡博輝)【写真1枚目=峠にある柘植町の一ツ家集落】

 関西鉄道(当時)の柘植‐四日市間は1890(明治23)年に開業。柘植‐加太間の「加太越」は、伊賀への急な勾配を上る蒸気機関車の姿を求め、鉄道愛好家たちが訪れる場所でした。現在は自動車専用の名阪国道が東西の大動脈ですが、今回歩いたのは一般道の国道25号です。

 9月12日午後1時半、柘植駅前を出発。晴天ですが、8月までよりは涼しくなったように思えました。近くの倉庫では稲の脱穀が行われている香りがし、通り掛かった田んぼではコンバインがちょうど最後の列を刈り終わるところでした。

大杣池の土手に生えたススキ

 柘植町の岡鼻集落を抜け、国道25号へ合流。行く先に採石場があり、ダンプカーが行き交うため、歩くには注意が必要です。採石場向かいの鴉山池の土手には穂を出したススキが並んでいます。

 峠には、柘植町の一ツ家集落があります。以前の取材で、最盛期には十数軒の家があったと聞きました。集落を過ぎて亀山市に入ると、急激に道幅が狭くなりました。

 20分ほど下ると、北側に入る林道と「加太不動滝」の看板を発見。かつて台風で被害が出たのか、関町役場当時の注意看板も残っています。この先にある滝を目指して林道を進むことにし、水音を聞きながら少しぬかるんだ道を歩いていきます。

国道から林道を進むと小さな滝が現れた

 小さな滝が現れ、しばらく進んで日陰の遊歩道になり、「大日滝」「不動滝」の看板が現れます。トレッキング気分もつかの間、その先は、近年の台風などで道が見つけられず、2つの滝を拝むことはできませんでした。

1890年完成の大和街道架道橋の内側。腰部は石積み、上部はレンガ積み

 残念な気持ちを抱えて国道へ戻り、山を下ります。こちら側にも採石場があり、ダンプカーをかわしながら林間を歩いていきます。関西線のディーゼルカーが通り過ぎた架道橋は、石とレンガで組まれた古いものでした。

加太駅へ 帰途は乗車

 加太北在家の公民館を過ぎると、交差点の向こうは名阪板屋インター。小学校の下校時間と重なり、10人ほどとすれ違った後、学校前からはスクールバスが出発。国道と同じくらいの高さで線路がすぐ脇を通り、古い橋脚を遠めに眺めながら進みます。

加太川にかかる屋渕川橋梁。近くに案内看板もある

 あとは線路沿いをのんびりと進み、午後4時35分に加太駅へ到着しました。滝を見に行った分も含め、歩数は1万4262歩でした。近隣の鉄道遺産を解説するホームのパネルを見ながら列車の到着を待ちます。

加太駅で亀山行と加茂行が行き違う

 4時56分発の加茂行き普通に乗車。引き込み線も撤去されているもののホームが残る中在家信号所の跡を確認し、明かり一つない真っ暗な加太トンネルに改めて驚いているうち、10分ほどで柘植駅へ着きました。長く生活や産業を支えてきた鉄道の歴史を垣間見ることができました。

加太駅の跨線橋から伊賀上野方面を望む
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