【今中さんが現代語訳した冊子を手にする西久保さん=奈良市月ヶ瀬嵩で】

 月ヶ瀬梅渓(奈良市)の魅力を全国に知らしめ、後世まで読み継がれた「月瀬記勝」は、江戸後期の漢学者・斎藤拙堂が1850(嘉永3)年に出版した紀行文だ。出版から100年余りが経ち、漢文で書かれた原作を現代語訳したのが、月ヶ瀬梅渓保勝会の常務理事だった今中操さん(故人)。50回忌を控え、孫の西久保博明さん(75)=いずれも同市月ヶ瀬嵩=は、功績を後世に残すための作業に取り組んでいる。

 津藩の藩校で教育に尽力した斎藤は、1830(天保元)年に門人たちを伴って月ヶ瀬を訪れ、さまざまな風景を9編の「梅遊渓記」と10首の七言律詩に書き残した。後に、これらと梅渓画8葉を収めた「乾」、頼山陽ら30人の詩を掲載した「坤」の2巻が出版された。多くの文人墨客を梅の里に導いた名作である一方、「戦後特に漢文衰退し大衆に読まれていないし本村でも骨董(こっとう)的村宝」(翻訳版前書きより)になっていたという。

今中操さん(村報月ヶ瀬1978年1月10日号より)

 今中さんは約半世紀にわたって農業を中心に梅林の整備、史跡の探究などに尽力し、愛媛県から梅渓へ何度も通った詩人・林桐人氏と交流が生まれたことがきっかけで、作詩や吟詩もたしなむようになった。林氏が添削して赤字を入れ、漢文の仕組みを詳しく解説したはがきや書面が今も数多く残る。本人は「非才を省みず翻訳を決意した」「無学に等しい輩」と謙遜(けんそん)の思いを記しているが、西久保さんは「何事も熱心に学ぼうとする祖父の姿勢が伝わってくる」と語る。

今中さんが林桐人氏とやりとりしたはがきや封書の一部

 「月瀬記勝」を平易な文章に改め、往時の梅渓を多くの人に思い起こしてほしいとの声を聞き、今中さんが大仕事に取り掛かったのは70歳を迎えたころ。晴耕雨読で培った翻訳は粗削りな部分も多く、誤訳もあったそうだが、後に元高校教員の小西亘氏らが月瀬記勝の「梅渓遊記」を現代語訳するきっかけにもなったそうだ。

 西久保さんは祖父・今西さんについて「温厚な人で、よく可愛がってもらった」と振り返る。地元の道路整備や、集落最上部にある乙若城跡の復興など、「自分のことより、地域のために何ができるかを第一に考える人だった」という。

 今中さんは月瀬記勝の翻訳版を出版する2年前に「月ヶ瀬梅渓と乙若城物語」、前年には「龍王の滝物語」と、地元の旧跡を紹介する冊子を執筆。77歳で亡くなる半月前には、月ヶ瀬村(当時)から篤行と功績を称えられ、名誉村民に値する表彰も受けた。西久保さんは現在、今中家に残る膨大な資料を読み解き、友人で郷土史家の稲葉耕一さんとともに“一代記”にまとめようと奔走する日々だ。

 小学生のころ、西久保さんは尊敬する人物として祖父・今中さんの名を挙げていた。「村のために尽くしていたことが、子どもながらにも分かっていたと思う。一時は衰退しかけた月ヶ瀬を復興してきた恩人でもある祖父の一生や生き様を、何らかの形で残したい」と願っている。

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