【仲睦まじいサンさん(右)と優佳さん夫妻=名張市長瀬で】
11月22日は「いい夫婦の日」
米国・サンフランシスコから三重県名張市長瀬に移住したサン・プアッソンさん(54)と石村優佳さん(50)夫妻。世界的企業で活躍していた2人の日本移住は、「愛する家族を守るため、人生をもう一度見つめ直す」という決断から始まった。11月22日は「いい夫婦の日」。
優佳さんは大阪府生まれ、富山県育ち。地元の病院で臨床検査技師として働いていたが、28歳の時に語学留学を決意し渡米した。英語を習得する中で、サンさんと出会った。
サンさんはサンフランシスコで生まれ育った。消防士を経て、世界的な航空宇宙企業「ロッキード・マーティン」で技術者として勤務していた。
2人は2007年、共通の知人を通じて出会い、5年後に結婚。優佳さんは大学で生化学を学んだ後、新型コロナ治療薬「レムデシビル」の開発などで知られるバイオ製薬会社「ギリアド・サイエンシズ」の社員に。サンさんも技術者を統括する立場となり、安定した生活を築いた。

転機は、優佳さんの両親の健康状態だった。70代の父が難病を発症し、車いす生活に。母も体調を崩し、入退院を繰り返した。コロナ禍で帰国もままならず、優佳さんは電話越しに母の声を聞くたび涙をこぼしたという。
そんな姿を見たサンさんが、静かに言った。「日本へ行って、君の家族を支えよう。僕も日本で暮らしたい」
サンさんには、若いころから日本への憧れもあった。高校時代に京都から来た日本人留学生と親しくなり、日本へも足を運んだ。それ以来、「いつか日本で暮らしたい」という夢を抱いてきた。サンさんの両親も高齢だが弟と妹が同居しており、決断を後押しした。
23年10月、2人は安定した職を手放し、サンフランシスコ郊外の住み慣れたマイホームを離れた。選んだのは「家族を思う心」と「夫婦の絆」だった。
両親は富山から親類の住む名張市長瀬へ移り住んでおり、2人もそこに拠点を定めた。言葉も環境も違う新生活の始まりだったが、地域の人々は2人を温かく迎えた。
キッチンカー起業 夫婦で本番ハンバーガー提供
そして始めたのが、夫婦で営むキッチンカー「San Francisco Food Truck(サンフランシスコフードトラック)」。日本語がまだ得意ではないサンさんとともに働ける仕事を考え、米国で慣れ親しんだ本場のハンバーガーを日本で提供することを選んだ。各地のイベントやマルシェに出店しながら、知名度を高めている。
「日本の人たちは本当に協力的で優しい。長瀬は自然が豊かで、星空も美しい。優佳と一緒にもっと地域に溶け込みたい」とサンさん。優佳さんは「サンと一緒に働くのは楽しい。キッチンカーでいろんな場所へ行きたい」と笑顔を見せた。2人の挑戦はインスタグラム(@san.francisco_food.truck)で発信している。















