【近鉄の運転士時代の一岡さん(本人提供)】

印象深い出来事も

 近畿日本鉄道(近鉄)で駅員や車掌、運転士として計23年間勤務した三重県名張市桔梗が丘の一岡浩司さん(63)がこのほど、近鉄時代に経験した出来事や自身の心情の変化などをまとめた書籍「名張列車区回顧録 これはマルになりません!」をパレードブックス(大阪市)から自費出版した。

本を手にする一岡さん

 旧上野市出身で、上野商業高を卒業後、近鉄に入社。駅員として初任地の榛原駅(宇陀市)で2年間勤務し、名張列車区(名張市平尾)で大阪線や伊賀線(現・伊賀鉄道)の車掌を3年間、41歳で退職するまでの18年間は運転士を務めた。

 還暦を機に、自身の経験を記録に残そうと、在職時のメモや資料を基に編集を進めてきた書籍は、駅員、車掌、運転士、退職後の4章で構成。副題の「マル(にする)」とは「トラブルに円滑に対処する」ことを指す鉄道業界の用語だといい、「現代では通用しにくい出来事もあるが、古き良き時代の鉄道マンの昔話として受け取ってもらえたら」と笑う。

 駅員時代は、榛原駅を「沿線で一番(?)寒い駅」と書いているように、改札や清掃などに加え、駅近くのトンネル内のつらら除去作業がひときわつらかったといい、車掌の業務も想像していたものより格段にハードだったそうだ。

 運転士時代の長時間乗務による「トイレとの闘い」や、大阪と伊勢を結んでいた鮮魚列車(2020年廃止)が印象深いという。「自分の経験ではないが載せておきたかったこと」として、1975年にエリザベス女王を乗せた「お召列車」の運転士に英国王室から黒革の財布が贈られたこと、小学生だった71年に大阪線のトンネル内で発生した列車同士の正面衝突事故にも触れている。

 退職後は「趣味が高じて」競馬予想家に転身し、現在はインターネットの予想サイト向けに執筆する他、現地へ行く回数は減ったが、地方競馬の笠松競馬場(岐阜県)内での予想も続けている。

 鉄道の現場を離れ二十数年、IT化・機械化で人が関わる業務が減り、あらゆる面で安全を重要視するよう変わってきたこと、張り巡らされたSNSの網が、悪意の「監視の目」ではなく逆に鉄道関係者を守っていることを切実に感じるそうで、「今も昔も、鉄道に関わる人たちが日々努力し、安全・快適にお客さんを運んでいる。最近は駅員が減って寂しい気はするが、それが新しい鉄道の姿なのかな」とつぶやく。

 退職前最後の乗務は、くしくもその年にデビューする「アーバンライナーnext」の試運転だった。「自分へのはなむけだったのかも」と振り返る一岡さんに、「もし近鉄を辞めていなかったら、今は何をしていると思うか」と記者が問うと、「生まれ育った地元を走る伊賀線を運転していたかもね」と笑顔で答えた。

 書籍は四六版180ページで、税込み1100円。1000部印刷し、伊賀地域では岡森書店白鳳店(伊賀市平野東町)で販売している他、アマゾンなどインターネット書店でも取り扱っている。

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