【思い出の詰まった写真や賞状などに囲まれる野村さん】

発足時からチーム代表 子どもたちの成長見守る

 三重県伊賀市青山地区の小学生軟式野球チーム「青山少年野球」が、1976(昭和51)年の発足から半世紀を迎える。同時に、35歳でチームを立ち上げ、長らく代表として子どもたちの成長を見守ってきた同市阿保の野村一雄さん(85)が、50周年を機に勇退する。

 地元で洋傘店と学用品店を営む野村さんは、ソフトボール仲間の保護者とのつながりから声を掛け、阿保地区の児童12人を集めて野球チームをスタートした。「少年時代は新聞配達などで忙しく、自分は野球をやったことがなかった」野村さんの思いは、何より「たくましく健康に育ってほしい」からだ。

発足当時の1期生たち(チーム提供)

一番の財産は「もらった元気」

 旧青山町時代は近隣の矢持、博要、上津のチームと試合をし、近年は名張市のチームとともに「わんぱくリーグ」に参加。自身も県の公認審判員として20年以上、大会の運営に尽力してきた。青山より1年早く発足した名張市の「桔梗ボーイズ」など、伊賀地域のチームとは県大会出場をかけて何度も高め合ってきた、ライバルであり仲間だ。

 強豪校へ進んだ教え子も少なくなく、卒団生から仲人を頼まれたことも。阪神・淡路大震災の後、兵庫県芦屋市のチームを元気づけるため現地へ赴いて練習試合をしたり、親睦を深めるため芋掘りを企画したりと、チームのために動き続けた50年。「各年代の保護者やコーチを始め、さまざまな方へ感謝を伝えたいし、子どもたちから元気をもらえたことが一番の財産」と笑顔がこぼれる。

 桐ケ丘にある学用品店の一角には、歴代の集合写真や賞状、トロフィーなど、発足以来の思い出の品々が並び、さながら記念館のよう。その一つひとつを優しく眺める野村さんは「これからも変わらずチームを応援し、皆の成長を感じながら大会や地域を盛り上げていきたい」と語った。

受け継ぐ「全力プレー」

 野村さんは、チームが5月5日に開く招待大会での勇退セレモニーに臨む予定で、西村幸太郎監督(50)は「チームの立ち上げや運営の苦労はたくさんあったと思う。人数は少ないが、とにかく元気に全力でプレーすることを忘れず、少しでも長くチームを続けていきたい」と感謝を述べる。

 6月14、15日に「高円宮賜杯全日本学童野球大会マクドナルド・トーナメント」三重県予選への出場を控える現チームの主将、岩口友誠さん(青山小6年)は「ピンチの時でも声を掛け合い、仲間で思いやれるのが青山少年野球の強み」と頼もしい表情で話した。

現在の青山少年野球のメンバー(チーム提供)
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