【現在の敢國神社境内(小型無人機で撮影)】

【伊賀名所シリーズ 今と昔①】

 戦国時代の連歌師・能登永閑が著した「伊賀國名所記」に江戸後期の入交省斎が注釈を加えた「標注伊賀名所記」には、伊賀の名所を上空から見下ろしたように描いた絵が添えられている。江戸時代に紹介された伊賀の名所が現在はどうなっているのか、上空からドローンで撮影し、比べてみた。

「標注伊賀名所記」一之宮村敢國社(国文学研究資料館所蔵)

 「伊賀国の一宮」とされる三重県伊賀市一之宮の敢國神社は南宮山のふもとに鎮座し、創建は658年と伝わる。天正伊賀の乱後に一時荒廃したが、修験者の小天狗清蔵や藤堂藩初代藩主藤堂高虎が再興に尽力した。

江戸期の絵と比較

 標注伊賀名所記では、同神社を南西上空から眺めた構図で、本殿や拝殿などが描かれている。拝殿の右側には、二つの灯籠が描かれており、左側は高虎に仕えた藤堂采女元則が寄進したもので、今は市指定有形文化財になっている。

 鳥居は、絵図では一般的な形式のものが描かれているが、現在は鳥居の本柱前後に低い柱を設けた両部鳥居になっている。昭和のころに改められたといい、この形式は神仏習合の神社に多いとされている。

 絵と写真を比べると、建物の形はほとんど変わりないが、全体的に木が多くなった印象がある。太郎館学宮司は「昔はこの辺は木があまり無かった。天正伊賀の乱の時に織田信長が南宮山に登って国を見たというが、木が少なかったから一望できたのだろう」と話した。

- Advertisement -