【遺骨収集団に参加した体験などを中学生に語る田中さん=宇陀市で】

宇陀市の田中さん 中学生に体験語る

 第二次世界大戦では、海外で日本人およそ240万人が亡くなった。奈良県宇陀市の市遺族会元会長の田中實さん(85)は、日本から約4000キロ離れたビルマ(現ミャンマー)で父親を亡くした戦争遺児で、戦後に政府の遺骨収集事業に参加した。YOUで職場体験をした三重県名張市立名張中学校(丸之内)の3年生3人が、田中さんに話を聞いた。

田中さんの父・正一さんの写真

 鉄道の運転士だった父・正一さんは、田中さんが2歳だった1940年に召集され、奈良陸軍歩兵第138連隊に所属。中国戦線を経てビルマに転戦し、当時英国領だったインドのインパールを旧日本軍が44年に攻略しようとした「インパール作戦」に従軍中、シッタン川付近で30歳の若さで戦死した。遺骨は今も見つかっていない。

 田中さんは、夫亡き後の困窮の中で懸命に働いた母親に育てられ、高校卒業後、父親と同じ鉄道会社に就職した。父親のことは「顔を写真で知るのみで、声も、抱いてもらったことも覚えていない」と振り返る。

 20代の時、政府の遺骨収集事業を伝える新聞記事を目にし、「父が戦死した国をいつか訪れたい」と思いを募らせた。10年ほど経った77年、「第3次ビルマ遺骨収集団」への参加がかなった。

 遺骨収集団には戦争遺児の他、帰還した元将兵でつくる戦友会の会員たちも参加。出発前に開かれた式典で、父親と同年代くらいの戦友会の会員たちと出会った田中さんは、心の中で「俺の親父は死んだのに、この人らは生きて帰ってきたんだ」と複雑な感情を抱いたという。

 ビルマでは当時を知る人の証言によって見つかった遺骨の掘り起こしや収集が、現地住民の協力を得て進められた。見つかった遺骨は丁寧に洗われた後、焼骨式で火葬された。

 戦友会の会員たちはこの時、日本から持参した水や酒を遺骨に掛け、「長いこと来られなくてすまん。日本の水やぞ、酒やぞ」と叫びながら地面にひれ伏して号泣した。

 その光景を見た田中さんは「これらの遺骨は親父のものではない可能性が高いが、戦友会の人たちにとっては全て、生死の境をともにした仲間の骨なんだ」と気付かされ、出発前に抱いた感情を強く後悔したという。

 数日間の活動を経て、田中さんは帰国の途に就いた。離陸する飛行機で窓を眺めながら「親父、さよなら」とつぶやいた時、隣に座った戦友会の会員が「田中君、あれがシッタン川ですよ」と窓の外を指差した。田中さんは「あの川のどこかで親父が」と声を上げて泣いたという。

 田中さんはその後、地元の遺族会長を長年務めながら小学校で講演を行うなど、戦争遺児の体験と平和の大切さを伝える活動を続け、2021年には厚生労働大臣表彰を受けた。田中さんは「戦争は、家族や仲間も含め多くの人々を悲しませる。これからの人たちには、悲惨な戦争を絶対に繰り返してほしくない」と思いを語る。

 厚労省によると、ミャンマーでは戦時中に日本人約13万7000人が戦死したが、約4万6000人の遺骨がまだ収容されていない。

田中さんの話を聞く名張中の生徒たち

2023年8月12日付849号1、11面から

【訂正します】849号の紙面記事で、取材した中学生の学年が「2年生」とあるのは「3年生」の誤りでした。

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