三重県名張市で産声を上げた探偵小説家・江戸川乱歩(1894‐1965)に58年後、生まれた時の状況を伝えた女性が残した当時の手記が、同市新町の商家の蔵から見つかった。手記を発見したひ孫の辻孝信さん(62)は、生後間もなく市外に転居した乱歩の心を「曾祖母が名張へとぐっと手繰り寄せた」と推測する。
手記は、日本推理作家協会の会員、秋永正人さん(65)=つつじが丘南=が昨秋、調査研究のために辻さんの元を訪れたのをきっかけに見つかった。書いたのは辻さんの曾祖母せきさんで、いくつもの古いノートや便箋に日記のように日々の記録が残されていた。
せきさんは幕末の1867(慶応3)年に名張藤堂藩の典医の横山家に生まれ、名張宿の本陣で後に酒店を営んだ辻家に嫁いだ。26歳だった94(明治27)年10月、実家の横山家の長屋に住んでいた平井という官吏の妻が産気づき、せきさんの実母が出産に立ち会ったため、せきさんも呼ばれて世話した。生まれた男子は太郎と名付けられたが、平井家は翌年、転勤で現在の亀山市へと引っ越していった。せきさんはその後、辻家の家業に勤しみ、老後は人形作りを趣味にした。
赤ちゃんと58年後再会
84歳だった1952(昭和27)年9月27日、政治家の選挙応援のために名張を訪れた乱歩が、本町の書店主・岡村繁次郎さんらに案内されて生家跡を訪れた後、辻家にやってきた。「平井さんの息子だ」と紹介されたせきさんは、還暦間近の乱歩を見ても「あら、大きくなって」とまるで子どもを扱うようだったといい、乱歩の出生当時の思い出をいくつも語ったとされている。
その日のせきさんの手記には「本名平井太郎君、江戸川乱歩さん。御母さんの乳ぶさにすがる姿、目に浮かぶ」「さすが有名の人物と見受けた」とあった。
乱歩、名張でふるさと発見 辻さん「曾祖母と距離縮まった」
乱歩にとって名張はそれまで、生まれた土地でありながら記憶のない “見知らぬふるさと”だった。ところがこの年に岡村さんらに案内されて生家跡を訪れ、せきさんと会って自らの出生時の話を聞くなどして、名張に対して大いに親しみを抱くようになった。
翌53(昭和28)年には、名張訪問の随筆「ふるさと発見記」を発表し、その中でせきさんについても「足が不自由で寝たままではあるが、頭はハッキリしているし、目も耳もよく、奇麗なお婆さんであった」と触れている。
55(昭和30)年に乱歩の生家跡に「江戸川乱歩生誕地」と刻まれた碑が建立された翌年、せきさんは生涯を閉じた。その4年後に生まれた辻さんにとって、せきさんは会ったことのない曾祖母だった。乱歩との関係は書籍や家族の話から知っていたものの、あまり意識したことはなかったという。
乱歩と名張の人々との関わり
ところが手記を読んだことで「イメージが完全に変わった」と話す。「朝寝して、昼寝して、また宵寝して、そのあいだあいだに居眠りをする」といったユーモアあふれる記述も多くあったといい、辻さんは「面白いおばあちゃんだったんだと、ぐっと距離が縮まったように思う」と振り返る。「今年は乱歩の作家デビュー100年の年。この機に、名張の人々と乱歩との関わりに注目してもらえたら」と話した。
秋永さんは、同協会の会報2022年11・12月号と23年2月号で、岡村さんやせきさんと乱歩の関わりを紹介した。同協会ホームページ(http://www.mystery.or.jp/)でも記事を読むことができる。
2023年3月11日付839号1、4面から