【避難先のドイツから体験を語るマリーナさん(左)と、伊賀市の実家で話を聞く宮﨑さん(「Zoom」のパソコン画面のスクリーンショット)】

伊賀の宮﨑さんと避難先ドイツのマリーナさん 9000キロリモートで

 皆、無事でいて――。ロシアによる侵攻が続くウクライナ。2015年春から1年半、首都キエフのウクライナ日本センターで勤務した三重県伊賀市沖出身の宮﨑さとみさん(43)は、元同僚らの身を案じ、連絡を密にしている。

 学生時代の欧州旅行がきっかけで語学の道を志し、JICA(国際協力機構)などさまざまな機関から海外に派遣され、英国やロシア、中国、フィリピンなどで日本語を教えた。現在は大阪市に住み、大学などで教壇に立っている。

 3月中旬、約9000キロ離れたドイツ東部ライプチヒと宮﨑さんの実家がウェブ会議システム「Zoom」でつながった。画面越しの相手は、奈良県の天理大学に1年間留学したこともある、ウクライナ人の日本語教師で同センター職員のデミャンチューク・マリーナさん(30)だ。宮﨑さんの問いかけに、マリーナさんが約1か月間の出来事を詳しく語り始めた――。

ウクライナの民族衣装を着る宮﨑さん(右から2人目)、マリーナさん(同4人目)ら(宮﨑さん提供、2015年撮影)

マリーナさん体験語る 日常が一転、難民に

 「2月中旬、親友が『どこかに逃げないと』と、しきりに言い始めました。『大丈夫よ。落ち着いて』と私は答えていました。まさかこんなことになるとは思いもしませんでした」

 「24日はごく普通に仕事に行き、夜は友人の誕生日を祝う予定でした。キエフの自宅アパートで午前8時ごろに目覚め、友人からの電話で侵攻を知りました。離れた場所に住む母(59)の元に駆け付けましたが、この日は『すぐに終わるだろう』『信じたくない』という思いがあり、そのまま母のアパートで夜を迎えました」

 「25日未明、大きな爆発音がし、空襲警報が鳴り響きました。恐怖の中、ミサイル攻撃から身を守るため、近所の学校の地下に避難しました。小さな子も含め100人以上が集まり、ペットを連れた人もいました。椅子を並べて寝床にし、携帯でニュースを確認しました」

「今動かないと」1700キロ避難し姉と再会

 「『今動かないと逃げ遅れる』。26日朝、母と姉の嫁ぎ先のドイツに向かう決意をしました。まず地下鉄駅に行きましたが運休していたので、アプリで通常の4倍の価格設定でタクシーを呼び、鉄道駅に向かいました」

 「電車に乗り、27日の朝に西部リビウに着きました。駅では小さな子どもが『なんで父さんと離れなきゃいけないの』と泣く光景を見ました。外国人留学生はウクライナ語の電車案内が分からず困っていたので、英語で説明してあげました。ハンガリー国境近くの町・チョップに着いたのは28日朝でした」

 「チェコのプラハで姉と再会し、姉の家があるライプチヒに3月1日に着きました。もっと大変な状況の人がたくさんいる中、私たちは恵まれていたと感じます」

 マリーナさんは、国境到達までに丸2日かかった。ライプチヒまでの総移動距離は約1700キロ。その間、ボランティアの温かさに助けられたという。

 「出発時、小さなリュックに少量の食料しか入れていませんでしたが、先々で現地のボランティアがたくさんの物資を提供してくださり、温かい食べ物まで振る舞ってくれました」

マリーナさんの避難関連地図

父「村離れたくない」 同僚は兵士に

 マリーナさんには父親もいるが、今もキエフ郊外の村に1人でとどまっているという。

 「父は60歳で、男性の出国を禁ずる国家総動員令の対象ではないですが、『村を離れたくない』と話しています。村には今まで目立った攻撃はありませんが、北部チェルニヒウからキエフに至る幹線道路があるので、とても心配です。毎日電話で連絡を取っていますが、『遠くで砲撃音が聞こえ、夜は念のため家の電気を消している。パンが手に入らない』と話しています」

 マリーナさんはドイツへ避難後、戦争の行方やウクライナで危険にさらされている人々のことを考え、落ち着かない日々を過ごす。

 「生まれ育ったキエフの街が破壊される写真をニュースで見ると、とてもつらく、泣いてしまいます。同僚の日本語教師の男性は、領土防衛隊の兵士に志願したと聞きました。避難した友人も多いですが、『家族と一緒にいたい』とキエフ近くに残っている人も多いです」

 「日本も難民を受け入れ、本当にありがたい気持ちでいっぱいです。国旗と同じ青と黄にライトアップしたお城や、難民支援のかたやきの伊賀の記事を宮﨑先生が紹介してくれましたが、感動しています。ウクライナにとって、とても大きなことです」

 「私は今、ドイツに避難する人のため、住む所の情報をまとめたホームページをウクライナ語とロシア語に翻訳したり、ウクライナのテレビ局「1+1」のユーチューブチャンネル(https://www.youtube.com/c/1plus1)で戦争の様子を伝えるニュース動画に日本語の字幕を付けたりするボランティアに参加しています。ウクライナで起きている出来事の情報を広めることが大切です。戦争が一日も早く終わるため、私に出来ることをやっていきたいですし、一人でも多くの人々にウクライナの手助けをしてほしいです」

マリーナさんが日本語字幕を付けたニュース動画の一場面

「ウクライナのため出来ることを」「一日も早く平和な日常を」

 宮﨑さんは2012年にシンポジウムで初めてキエフを訪れ、「なんてすてきな街。この国に住んでみたい」と一目ぼれしたという。3年越しの願いは実現し、外務省所管の国際交流基金からキエフ工科大学内に事務所があるウクライナ日本センターに派遣され、日本語講座の指導や運営、現地の日本語教育推進などを担当した。この時、大学院を卒業したばかりのマリーナさんとも出会った。

 宮﨑さんはウクライナに居た1年半、大人から子どもまで日本語を学ぶウクライナ人約300人と関わった。「争いを好まず、穏やかな人が多い」と振り返る。書道や茶道、漫画、アニメなど日本文化に興味を抱く人がたくさんおり、センター主催の文化イベントには会場からあふれるほどの人が集まったという。

現地の教え子たちと記念撮影をした宮﨑さん(右から4人目)とマリーナさん(同3人目)ら(ウクライナ日本センター提供、2016年撮影)

 ロシアのウクライナ侵攻後、宮﨑さんはマリーナさんの他、ポーランドに逃れたり、キエフに残っていたりする元同僚や知人ら10人以上と連絡を取っているが、一部の人とはいまだに連絡が取れていない。かつての教え子たちの安否も気掛かりだという。

 3月9日に大阪府が立ち上げた「ウクライナ避難民通訳支援人材バンク」のボランティアには、すぐさま申請した。「ウクライナの人々が一日も早く平和な日常を取り戻せるよう、私に出来る限りのことをしたい」と話す。

 国連難民高等弁務官事務所によると、ロシアによる侵攻開始以降、ウクライナから近隣国に避難した人の数は、3月22日までに360万人に上っているという。

聖ミハイル修道院(右奥)とキエフの街並み(宮﨑さん提供、2016年撮影)

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