【恭生ちゃんの写真や一緒に読んだ絵本を広げる山本さん=津市内の自宅で】

 「息子を亡くして寂しいけれど、3年半、全力で生きた。私たち家族は決して不幸じゃない。今も幸せ」。三重県伊賀市出身で津市在住の山本悦子さん(40)が、病気のため昨年8月に3歳半で他界した次男・恭生ちゃんや家族への思いをつづり、「第5回生命を見つめるフォト&エッセー」(日本医師会、読売新聞社主催)で最高賞の厚生労働大臣賞を受賞した。

恭生ちゃんが亡くなる3日前に消防署を見学に訪れた山本さん家族(提供写真)

 中高の同級生の誠司さん(40)と結婚し、2015年に長男・周生ちゃん(6)、18年に恭生ちゃんを授かった。恭生ちゃんは昨春から幼稚園に通い始めて仲の良い友だちもでき、大好きな消防車の絵本やおもちゃなどで遊ぶのが日常だった。

 体調に異変が現れたのは大型連休のころ。検査で頭部にゴルフボール大の腫瘍(しゅよう)が見つかった。「横紋筋肉腫」という小児がんの一種で、既に転移していた。緊急手術の後、放射線と抗がん剤を並行して治療を続け、腫瘍は小さくなったが、感染症治療のため抗がん剤治療を中断した3週間で、腫瘍は幼い体を急激に蝕んでいった。

 「恭生が大好きな家に帰ろう!」。8月上旬、退院し在宅療養に切り替えた。弟が思うように動けない現実を兄にどう伝えるべきか、山本さんは悩んだ。しかし、帰宅すると、2人で絵本を読んだり、おやつを食べたり、けんかをしたりと、少し前までのような日常が戻ってきた。「子どもたちは今をしっかり生きている」。そう実感することができた。

 退院から1週間後には念願だった消防署見学もかなったが、それから3日後、両親と兄に見守られ、恭生ちゃんは旅立った。弟のひつぎに、兄は「さみしいけどバイバイ」と書いた手紙を入れた。3年半の間、2人が見せてくれた強さと優しさに両親はとても大きな力をもらえたという。

恭生ちゃんが亡くなる3日前に消防署を見学に訪れた山本さん家族(提供写真)

前向き始め執筆

 訃報を知った人たちは「可哀想に」「まだ小さかったのに」などと声を掛けてくれた。だが山本さんは「どん底かもしれないけど、不幸じゃない。恭生は立派に生き抜いた」と前を向き始めていた。

 誰かの闘病を記したブログやSNSなどをインターネット上で探して読んでは「生きているから病気と闘えているんだな」と現実逃避もしていた。別れから1か月半が経ったころ、エッセーの公募を知り、心の内を文章にしようと筆を執った。さまざまな出来事や心象の移り変わりを誠司さんと一つひとつ振り返りながら、「今を生きる 息子を看取って」と題してまとめた。

絵本の数だけある思い出「生命のバトンつなぎたい」

 山本さんの自宅リビングには絵本がたくさん並んでいる。「絵本の数だけ、一緒に読んだ思い出ができた」。両親が戒名に入れた2文字は「開」「縁」。「開」は、本を開くのが好きな恭生ちゃんへの思いと、家族で未来を切り開いていくという強い心を意味し、「縁」は医療スタッフを始め出会った人たちへの感謝を込めたものだ。

 「一緒に遊んで、四季を感じて、時にはいたずらもして。3年半という短い時間だったけど、誇りに思えるほど全力で生きて、キラキラと輝いた人生だったと思う。恭生の生命のバトンをつないでいけたら」。山本さんは写真の中の笑顔を見つめながら、力強く語った。

 山本さんの作品は読売新聞社のウェブサイト(https://jigyou.yomiuri.co.jp/photoessay/works2022.html)で閲覧できる。

2022年2月26日付814号1、2面から

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