【真言律宗「不動寺」の本堂=伊賀市沖で】

 三重県伊賀市沖の真言律宗「不動寺」で11月21日、堀本識仁さん(31)の新住職就任を披露する「晋山式」が開かれる。式に先立って稚児行列もあり、地元の子どもら約100人が練り歩く。

 寺伝によると、同寺は平安時代初期に建立。天正伊賀の乱の兵火で焼失後に再建され、江戸時代は藤堂藩の祈願所となった。明治時代に再び焼失し、現在の本堂は1931年に再建したという。

 同寺では、第18代住職の普久山俊隆さんが2018年9月に病気のため73歳で死去。今回の式は、普久山さんと血縁関係のない堀本さんを新住職として正式に寺に迎える行事で、86年ぶりに開かれる。

 当日は、午前9時に堀本さんや檀家らの行列が沖公民館を出発。集落などを練り歩き、真言律宗管長で奈良・西大寺長老の松村隆誉さんと合流後、本堂での奉告法要へと進む。


31歳・堀本識仁さん 思い語る

堀本識仁さん=不動寺の本堂で

 堀本さんは普久山さんが亡くなる1年前から不動寺に住み込み、副住職として引継ぎを受けた。現在は妻の恵莉さん(30)、長女の泉心ちゃん(2)との3人暮らし。住職としての務めの他、会社勤め、子育てと多忙な日々だ。

 実家は同市比自岐の金泉寺で、5人きょうだいの三男。小学2年で般若心経を覚え、小学5年で得度した。盆になると兄たちと手分けし、自転車に乗って檀家を回り、経を上げていたという。

 そのころ、約3キロ離れた不動寺では跡継ぎが定まっておらず、行事で金泉寺を訪れた普久山さんが、大きな声で読経する堀本さん兄弟を気に入り、「1人うちにどや」と声を掛けた。長男は金泉寺の跡取り、次男は僧侶になる気がないとのことだったため、堀本さんに順番が回ってきた。「将来のことはまだ漠然としていたが、僧侶にならないという選択肢はなかった」と振り返る。

 丸山中、名張桔梗丘高時代はバスケットボール漬けの生活を送った。京都の大学に進学後、普久山さんから「お盆だけでも来て」と頼まれ、不動寺の檀家を回って経を上げるようになった。檀家の60代男性によると、たちまち「若くイケメンで人柄も良い」「読経の声がとてもいい」などと評判になったという。

 堀本さんは普久山さんの跡を継ぐ決心をし、修行のため高野山の僧侶養成機関に入った。待っていたのは、早朝から夜まで連日続く修練の日々。持ち込める電化製品は電気スタンドとシェーバーのみ、食事は質素な精進料理で、開始から3か月ほどで体重は15キロ減ったという。「あまりの厳しさに途中でやめてしまう人もいたが、『負けられない』と自分を奮い立たせた」と振り返る。

 1年間の修行を終え、2017年秋に高校時代から交際していた恵莉さんと結婚。夫婦で不動寺に住み、普久山さんに代わって寺の実務をこなした。

 恵莉さんもまた、勤めていた病院事務を辞め、僧侶の妻として書道や作法を習うように。堀本さんが仕事で不在の間も、寺のさまざまな仕事を普久山さんから受け継ぎ、ノートにまとめた。普久山さんと暮らした期間は約1年間だったが、堀本さんは「妻のおかげで、スムーズに引き継ぎを受けることができた。本当に感謝したい」と話す。

晴れ舞台実現へ 檀家ら奔走

 普久山さんの死去から約1年半、檀家らは晋山式実行委員会を立ち上げた。委員長の福井正倫さん(68)は「最近は住職が亡くなると無住寺になってしまうことも多いが、堀本さんが来てくれた。しっかりとした晋山式をしようという思いが、一致した」と話す。

 委員たちは資金を集め、新住職の法衣や本堂の畳の新調を始め、古式にのっとった式の実現のため奔走。華を添える稚児行列には、30人を超す子どもたちの参加が決まった。ポスターは地区の至る所に掲示し、盛大な式にすべく、地区を挙げて準備が進められている。

 晋山式を前に、堀本さんは「本当にありがたい。晴れ舞台を用意してくださり、身の引き締まる思い。住職として、不動寺を何としても守っていかなければならない」と語った。

2021年11月20日付808号16面から

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