【脱線転覆した列車と救助に駆け付けた人々(近畿日本鉄道提供)】

山中のトンネルでの救助活動語る 元県警機動隊・伊賀市の西田さん

 1971年10月25日、津市(旧白山町)で特急列車同士がトンネル内で正面衝突し、25人が死亡、288人が負傷した「近鉄大阪線列車衝突事故」から50年を迎える。伊賀市(旧青山町)との境から約4・5キロの地点で発生した大惨事だが、年月の経過とともに当時を知る人は少なくなっている。事故直後の現場に出動し負傷者救助にあたった一人、伊賀市北山の西田賢一さん(73)=元三重県警警視=に話を聞いた。

当時の新聞を前に体験を語る西田さん=伊賀市の自宅で

特急同士が正面衝突

 旧青山トンネル内で、名古屋行き特急列車(4両編成)がATS(自動列車停止装置)の異常動作で一旦停止。運転再開後、急勾配の単線区間をブレーキが利かない状態で走行した。制動解除時の対処が、不適切だったとされる。

 暴走する名古屋行き特急は、東青山駅‐榊原温泉口駅間の信号場の安全側線を突き抜けて脱線し、総谷トンネルに突っ込み停止。対向列車の難波・京都行き特急(7両編成)はブレーキが間に合わず、午後3時58分ごろトンネル内で正面衝突した。山あいで起きた事故だったため通報が遅れ、被害が拡大したという。

 事故後、近鉄は予定していた大阪線の完全複線化を前倒しし、1975年に実現した。

緊迫の現場へ

 当時、23歳だった西田さんは、警察官5年目、県警本部警備部機動隊の巡査だった。この日は勤務を終える午後5時15分をまわり、他の隊員たちとともに私服に着替え終わったころ、突然の出動要請がかかった。すぐさま紺色の出動服に改め、幌付きの輸送車に飛び乗り、津市の市街地にある機動隊庁舎から山間部の事故現場に向けて急行した。

23歳の時の西田さん

 榊原温泉口駅側から現場に近づくと、けがが無かった乗客たちが線路伝いに駅方向に歩いて来ていた。既に日は落ちており、輸送車で運んできた発電機と照明をトンネル内に持ち込んだが、スイッチを入れた途端に電球が切れるアクシデントに見舞われ、真っ暗な中での作業となった。緊迫の現場に「明かりも持たず何しに来た」と怒声が響いたという。

 西田さんはトンネル内を進み、難波・京都行き特急列車最後尾から車内に入った。前方の車両では座席と座席とに挟まれた乗客が数多く残されており、バールなどで隙間をこじ開けながら救出される負傷者を、一人ひとり担架に乗せて4人一組で片道約3キロ離れた榊原温泉口駅まで繰り返し運んだ。

徹夜で作業 朝に惨状

総谷トンネルの現在の様子=津市白山町上ノ村で

 「暗い上に山中で警察無線も通じず、全体把握ができない状況。ただ目の前の負傷者を先輩隊員の指示で運ぶだけだった。どれほどの距離を運ぶのかもわからず、枕木で歩きにくい線路を、ただ必死に歩いた。人の体は本当に重く、腕がまるで棒のようになった」と振り返る。

 他の機動隊員らと協力して活動を続ける中、自衛隊なども続々と現場に到着した。「担架に横たわる人のけがの状態も分からなかった。ただ、『頑張りや』と声を掛け続けた」と西田さんは話す。負傷者は榊原温泉駅口から救急車で近くの病院に向けて次々に搬送される一方、収容された遺体はトンネル西側に近い成願寺に安置された。夜が更け、寒さが増す中も、不眠不休の作業が続いた。

 朝、辺りが明るくなると、西田さんの目にも事故の惨状が飛び込んできた。「これはえらいことになった」。列車の前方は強い衝撃で一方は乗り上げ、一方は押しつぶされたようになり、いくつもの車両が無残な姿と化していた。

 秋雨の中、地元の人たちが振る舞ってくれた握り飯をほおばった。疲れ切った中、いつになくおいしく感じたという。午前8時ごろ、西田さんの隊にようやく撤収命令が下った。

 西田さんは機動隊員として、県内で発生した自然災害の現場をいくつも経験。その後も警備畑を中心に歩み、伊賀署副署長を経て、県警本部地域課次長で定年を迎えた。そんな西田さんも、23歳の時に出動したこの列車事故について「県内で自然災害はいくつもあったが、これほどの大事故は他になかったように思う」と振り返る。

近鉄 安全への決意新た

 事故直後から遺体の安置所になった成願寺には、列車事故の翌年、近鉄が慰霊塔を建立した。同社幹部が参列する法要が毎年続き、新入社員を対象にした研修も開かれてきた。研修の席で西山真澄住職(63)は「かつてこの本堂に、たくさんのご遺体があった。乗客の安全を守る責任を自覚し、決して油断なく職務に当たってほしい」と社員に語り掛けているという。

 同社は9月に公開した「安全報告書2021」で50年前の列車衝突事故に触れ、「このような事故を二度と起こさない」と決意を新たにしている。10月25日には、伊賀市阿保の青山町車庫で200人規模の事故災害復旧訓練が予定されている。

事故現場付近の近鉄大阪線。現路線は黒、旧路線は青

2021年10月23日付806号1面から

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