【所属チームのウエアを着て走る中村選手】

悔しさが 今の「強さ」に

 東京五輪男子マラソンに出場する三重県立上野工業(現・伊賀白鳳)高出身の中村匠吾選手(28)=四日市市出身。中村選手の在学当時、同窓会副会長だった名張市下小波田の髙濱勝明さん(70)が、保管していた2枚の原稿用紙を手に、高校時代の中村選手にまつわるエピソードを語ってくれた。「伊賀で過ごした高校時代が、中村君の今の強さにつながっている。学校関係者だけでなく、地域を挙げて応援して頂きたい」と話す。

中村選手が3年の全国高校駅伝後にしたためた原稿中の一文
髙濱勝明さん=名張市下小波田で

同窓会の髙濱さん語る

 髙濱さんは2010年秋、伊賀白鳳高への統合に伴う翌春の閉校を前に、2月に発行する「上工同窓会報第36号」の編集作業を進めていた。最後の会報で、各年代の卒業生や教員らから原稿用紙1、2枚程度で学校の思い出話を募集していた。

 在校生の代表は、既に世代トップクラスの長距離選手として全国的に知られていた3年の中村選手しかいないと考え、年内を期限に担任を通じて本人に原稿を依頼した。しばらくして中村選手から、「3年間の部活動が人間性を成長させてくれた」「12月の全国高校駅伝でメダルを取る事が、まだ達成していない目標」「上野工業高の名を背負って走れるのは最後で、その大会を高校生活の集大成にしたい」との思いがしたためられた1枚の原稿が届いた。県予選では中村選手、チームともに県新記録で優勝しており、髙濱さんも全国大会への期待を膨らませていた。

 しかし、中村選手は大会の2週間前に足を負傷してしまい、髙濱さんもその噂を耳にした。12月26日の大会当日、同窓会での応援で京都市の西京極陸上競技場を訪れた髙濱さんは、控えテント前で町野英二監督(故人)に中村選手のことを尋ねた。町野監督はただ、「中村は走る」と答えた。中村選手は1区の走者として都大路の舞台に立ったが、けがの影響で本来の力を発揮できず、結果は区間44位、チームも23位に終わってしまった。

最後の都大路経て届いた追加原稿

 年が明け、中村選手から髙濱さんに1枚の原稿が届いた。そこには、全国高校駅伝での声援に対する感謝や、本来の走りができなかった悔しさ、チームメートへの思い、伊賀白鳳高となる後輩たちへの期待が繊細な文字で書き記されていた。そして「この悔しさ、経験は必ずこの先競技を続けていく上でプラスになる」との言葉で、自身の今後の競技人生への姿勢をつづっていた。髙濱さんは、中村選手の強い思いに心を打たれつつ、原稿2枚分の内容を上野工高最後の同窓会報に掲載した。

 中村選手の五輪での走りを前に、伊賀白鳳高同窓会役員を今も務める髙濱さんは、保管していた直筆の原稿を再び読み返し、「五輪の舞台でも、最後まで諦めない気持ちで走り抜き、勝ってほしい」とエールを送る。五輪男子マラソンは、8月8日午前7時スタート。


中村選手に「闘魂」エール 母校・伊賀白鳳高

完成した応援メッセージの寄せ書き

 中村匠吾選手にエールを届けようと、母校・伊賀白鳳高(伊賀市緑ケ丘西町)の後輩らが7月中旬、応援メッセージを国旗に寄せ書きした。完成した応援旗は、所属チームの富士通に送る。

 旗は縦1・8メートル、幅2・7メートルで、生徒会が用意。中央の日の丸に書かれた名前や「闘魂」などの文字は、高校時代の中村選手を指導し、現在は同高非常勤講師の惠村正大さん(66)が筆を執り、国の伝統工芸品「鈴鹿墨」を使ってしたためた。「闘魂」は、中村選手が在籍していた当時の陸上競技部で使われていた旗に書かれていた言葉だという。

 「冷静にレースを進め、頑張ってください」と書き込んだ同部長距離主将で3年の水谷柊斗君(17)は「中村選手は憧れの先輩。同じ高校で練習する自分たちに、自信を与えてくれている」と話した。

 同高ではマラソン当日、パブリックビューイングでの応援も検討されたが、感染拡大防止のため断念。代わりに家庭での応援に役立ててもらおうと、同窓会が中村選手の名前入り応援タオル、PTAが応援うちわを作成。21日の1学期終業式で、全校生徒らに1人1つずつ贈呈した。

応援タオルとうちわの贈呈式=伊賀市緑ケ丘西町で

2021年7月31日付800号1、2面から

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