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 「200年以上にわたって続いた蔵を復活させたい。そんな思いが詰まったお酒」と、仕込みタンクの前で話す伊東優さん(35)。かつて愛知県半田市で銘酒と呼ばれた「敷嶋」を醸造していた酒蔵、伊東合資会社の9代目だ。惜しまれながらも20年前に廃業した同蔵の復活を目指し、昨年10月から名張市安部田の福持酒造場(福持博文代表)で蔵人として酒造りを手伝い、委託醸造という形で敷嶋の仕込みを行っている。【固い握手を交わす伊東さん(右)と羽根さん=名張市安部田の福持酒造場で】

 1788年に創業した同社は、中部地方最大規模の生産量を誇った時期もあったが、2000年に廃業。当時中学生だった伊東さんは大学卒業後、東京の大手通信会社に就職。故郷を気にしつつも会社員として過ごしていた。

 転機は、祖父が亡くなった30歳の時。通夜の際、実家に残っていた酒の味に感動し、蔵を復活させることを決心した。復活のためには、国が認可する清酒製造免許の再取得が必須条件だが、需給調整のため新規発行は原則認められていない。

 それでも伊東さんは会社員を続けながら、免許の取得手段や酒造りを勉強。有給休暇を利用して東北の酒蔵で修業したり、酒造関係者との交流を深めたりするなど、準備を進めてきた。

 18年夏、10年以上勤めた会社を退職、その年の冬に愛知県の酒蔵で蔵人として酒造りに励んだ。そして「蔵の復活を前に委託醸造で酒を造れないか」と、交流のあった福持酒造場で杜氏を務める羽根清治郎さん(42)を訪ね相談した。

 羽根さんも、廃業寸前だった同酒造場を存続させるため、会社を辞めて名張に移住、酒造りをゼロからスタートさせた経歴の持ち主。「歴史ある蔵元の後継ぎとしての彼の考え方や行動は率直にすごいなと。ちょうど人手も欲しかったし、僕自身まだまだ試行錯誤しながらしているので、そういう部分を見てもらうのもいいかな」と、伊東さんの思いを受け入れた。

杜氏らへ感謝「一歩進めた」

 半田市の自宅から2時間かけて通うようになって3か月が経ち、年が明けると準備した酒米・山田錦を使って1500リットルタンク1本(一升瓶約500本分)を仕込んだ。「食事と合わせることで互いのうまみが膨らむような酒で、日々の食卓で楽しんでもらえるような味わい」を目指した特別純米酒だ。

 「実際に搾るまではドキドキだったが、イメージに近い仕上がりでホッとした。新しい敷嶋を多くの人に飲んでほしい。力を貸してくださった羽根さんと福持代表には感謝しかない。蔵の復活に向けて一歩進めたと思う」とニッコリ。新酒はネット販売の他、同酒造場での購入も可能。

 問い合わせは伊東さん(0569・29・1126)まで。

 3月12日に開催された、三重県酒造組合による第50回県新酒品評会で、福持酒造場の代表銘柄「天下錦」が、純米吟醸酒の部で首位賞(知事賞)に、本醸造酒の部でも首位賞となり、2冠を達成した。

2020年4月11日付 769号 11面から

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