県立名張桔梗丘高校(名張市桔梗が丘7番町)が3月末で閉校を迎え、創立45年の歴史に幕を下ろす。3月上旬、最後となる43期生159人(男子54人、女子105人)が学び舎を巣立ち、卒業生1万1632人に名を連ねた。卒業式と閉校式にはOBや地域住民らが詰め掛け、思い出深い校舎と別れを惜しんだ。【閉校式で校歌を合唱する生徒や卒業生ら=名張市桔梗が丘7番町で】


同高は1963年の桔梗が丘団地の造成開始以降の市の人口急増を受け、市内2番目の普通科高校として73年に開校。多様な進路選択に応えるためと、2002年入学者からは伊賀地域内で初めて単位制を導入した。16年には名張西高との統合と名張青峰高の新設が決まり、生徒募集を停止。閉校後の校舎は市が中学校に利活用する案が出ている。

3月3日の式典後、1期生たちが集まり、久方ぶりに再会した級友らと校舎を巡り、写真撮影に興じて懐かしさを共有した。同市百合が丘東5番町の会社役員、瀬森敏明さん(60)、同美旗町中1番の自営業、谷本和代さん(60)らだ。当時の校舎の様子や学校生活を振り返れば「何もなかった、の一言に尽きる」と笑う。

【写真2枚目 在学当時の出来事を振り返る瀬森さん(右)と谷本さん】

開校当初は教職員約30人、1期生は5学級225人でスタート。校舎は1棟で体育館や武道場はまだなく、グラウンドも整備中だったため、入学式は屋上で開いた。校門や校章が出来たのは卒業年の秋ごろ。当時は「ないないづくし」「早期開校のしわ寄せ」と報道されたほどだった。

「花壇づくりや運動場整備に、校長先生が毎日長靴を履いて作業してくれ、それをみんなで手伝った」と瀬森さん。何もないままスタートした校舎での思い出だ。ぬかるむ運動場でどろどろになる生徒たちを気遣い、教員たちが板を渡してくれたこともあった。

変わらぬ明るさ

それでも生徒たちは「何もなかったからこそ、何でも作っていける楽しさがあった。明るく、自由な学校だった」と口をそろえる。瀬森さんは創立40年で母校を訪れた時には「設備は整っているが、生徒の明るい雰囲気は変わらないな」と実感したという。

開校当初、なかったものの一つが制服だ。1期生が入学式で撮った記念写真には、中学校の制服を着て写り込む学友たちの姿が残る。そんな中、女子生徒たっての要望で立ち上がった制服検討委員会の一人が谷本さんだった。

「市内唯一だった名張高はブレザー。『高校からはブレザーがいい』『でもセーラーも可愛い』。どっちも意見があるなか挙がったのが『なら、どっちもに』だった」。生徒や保護者アンケートを経て秋に完成した女子制服は、夏がセーラー、冬はブレザー。この形式は、制服を一新した2002年以降もそのまま受け継がれた。

当時造成中だった団地内は店も少なく、「小高い丘の中に学校だけがぽつんとあった」という谷本さん。桔梗が丘の開発や出店などの変遷を見るなか「閉校は寂しいが、少子化でやむを得ない。ちょうど還暦を迎え、学校とともに一つの時代が終わったのかな、という感じ」と寂しさをにじませた。

閉校記念誌の製作に関わった瀬森さんは「桔高の伝統を青峰高に受け継いでもらうのは難しいことだと思う。でも、桔高がこれまで残してきた功績や45年分の笑顔があったことは、青峰校の子どもたちにも閉校記念誌を通じて知ってもらえれば」と話した。

2018年3月24日付720号25面から