【現在の店舗外観=伊賀市上野丸之内で】

3代目夫婦らの思い

 約1世紀にわたって市街地に暮らし勤める人たちの生活を支えてきた三重県伊賀市上野丸之内のミニスーパー「フードセンター八百半」が、3月末でその歴史に幕を下ろす。市役所の郊外移転や住民の高齢化、交通手段の変化など、さまざまな移り変わりを見つめてきた常連客、半世紀以上勤めた夫婦らに胸の内を尋ねた。

1965年ごろの店舗前に立つ2代目夫人の前民代さん(中央)ら。店前には漬物用の木桶が並ぶ(前さん提供)

 創業時の正確な記録は残っていないが、100年ほど前に初代の前半助さんが同市西高倉から現在地に移って青果店「八百半」を開いたのが始まりという。総菜や日用品なども扱うミニスーパーの形態になったのは60年ほど前で、筋向かいの鮮魚店が閉まった後は鮮魚も扱い始めた。

 2代目の展克さん、民代さん夫妻を経て、現在は3代目の康富さん(67)、はるみさん(63)夫妻が経営し、調理や接客、仕入れなどに携わる5人が働く。20年ほど前までは同市久米町で支店も営業し、学校給食の食材を卸したり、コロナ禍前は介護施設へ日用品や食品を販売しに行ったりもしていたが、従業員の高齢化や康富さんの体調も考慮し、シャッターを下ろすことを決めたという。

「ここで育った」

 近所に住む門地義治さん(84)、律子さん(80)夫妻は、人生の半分以上をこの店とともに歩んできた。「小さいころからここで育ててもらったようなもん」と言う義治さんは仕入れ担当として数年前まで勤務し、律子さんは結婚後まもなく勤め始め、50歳ごろから鮮魚や調理を担当している。

店舗奥の厨房で魚を包装する門地律子さん=同

 「イワシの頭も触ったことなかったのに、急に鮮魚担当に任命された」と笑う律子さんは「子どももまだ小さかったし、頑張ったよ」と振り返りながら、今も手際良く魚をさばき続ける。「地元の皆さんに可愛がってもらい、しっかり働かせてもらえた。感謝の気持ちが強いけど、やっぱり寂しいし残念」とつぶやいた。

 店はNTT西日本伊賀上野ビルや移転前の伊賀市役所などが至近にあり、伊賀鉄道上野市駅や三重交通のバスセンターになっていた上野産業会館の目の前という好立地で、郊外から市街地への用事の帰りに立ち寄る人も多かった。律子さんは「市役所や電電公社(NTT)の人たちが夕方ごろ、レジに列を作り、値札も見ずに慌ただしく買い物をしていたのを思い出す」と懐かしむ。

 伊賀鉄道に勤務する50代と30代の男性は「お昼はほぼ毎日ここ。最後の日まで来るつもり」と日替わり弁当を選んでいた。週に1回程度、奈良市月ヶ瀬地区から路線バスで買い物に来る70代の女性は「配達でまかなえないものを買いに来る。人と人との付き合いができる楽しみがあったので、閉まるのは残念」とつぶやいた。

 昔ながらの個人商店や専門店が集まる中心市街地は、住民の高齢化が進み、生鮮食料品などを扱うスーパーは、上野中町にあったチェーン店が2019年9月に閉店。八百半の閉店に伴い、中心市街地からスーパーの灯が消えてしまうことになる。

レジで接客をする前はるみさん=伊賀市上野丸之内で

青果店の証

 夏にはスイカ、冬にはミカンといった旬の野菜や果物が最前列に並ぶのは、この店のルーツが青果店だった証だ。

 「年を重ねてもお子さんやお孫さんと一緒に買い物に来てくれる方がいたり、図書館へ通う学生さんがお昼や飲み物を買いに寄ってくれたり、いろんな方々に支えられてきた」という3代目夫妻は「できることならば後を引き継いでくれる人がいたら、と思っていたけれど、時代の変化が大きい。お世話になった全ての方々に感謝している」と思いを巡らせた。

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