【江戸川乱歩生誕地碑の前で開かれた除幕70周年記念セレモニー=名張市で】

 三重県名張市生まれの作家、江戸川乱歩(1894-1965、本名・平井太郎)の生家跡近くにある生誕地碑広場で11月3日、碑の除幕70周年を記念したセレモニーが開かれた。生家跡に建つ旧桝田医院を改装した「江戸川乱歩生誕地ミュージアム」(新町)の開館に合わせて約100人のファンらが集まり、乱歩の作品世界に思いを馳せた。

1955年11月3日の除幕式当日の写真(辻さん提供)

 乱歩は生後まもなく名張を離れたが、50代後半で初めて故郷を巡った。その帰郷をきっかけに地元の有志が資金を出し合い、1955年11月3日に生誕地碑を建立。除幕式には乱歩本人も出席し、感慨深い表情を浮かべる様子が当時のカラーフィルム映像にも記録されている(生誕地ミュージアムで上映)。

除幕式に出席した乱歩(左)と妻・隆さん(辻さん提供)

 碑の高さは約1・9メートル。「江戸川乱歩生誕地」の文字と、乱歩自身の筆による「幻影城」「うつし世はゆめ よるの夢こそまこと」が刻まれている。建立当時は旧桝田医院の中庭にあったが、2度の移転を経て、2010年から現在地にある。

 70周年を迎えたこの日、セレモニー会場には除幕式と同じ青と白の幕が張られるなど、当時を模して行われた。地元グループによる「乱歩さんの故郷の空」の合唱後、除幕の翌年に乱歩が発表した随筆「生誕碑除幕式」を司会者が朗読。「市の企画とか、個人の金持の企画とかいうのでなく、町の人々が、自発的に六十年もごぶさたしていた私に対して、こういう好意を見せて下さったのは、実にありがたいことだと思っている」という、結びの一文も披露された。

 セレモニーには、乱歩の孫の平井憲太郎さん(75)とミステリー作家の有栖川有栖さん(66)も出席し、あいさつに立った。平井さんは「(ミュージアムに)市が1円も出してないと聞き、名張の街の力はすごいと思った。街の力をこれからも生かしてほしい」、有栖川さんは「乱歩生誕の地として多くのミステリーファンを集め、にぎわうことを祈念している」と述べた。

セレモニーであいさつする平井さん(左)と有栖川さん

 生誕地ミュージアムのオーナー、辻孝信さん(65)は「ミュージアムの成否に関わらず、式は必ず行うつもりだった。全てが上手く運んで同時に開くことができ、本当にありがたい」と感謝した上で、「まだ半分もできていない。超えるべきハードルも多いが、皆さんと力を合わせて少しずつ形にしていく」と力を込めた。

セレモニーで、ミュージアム企画の経緯や支援への感謝を述べる辻さん

 セレモニーの後、有栖川さんはミュージアムを見学した感想について「難しいテーマを、共通のイメージとして見事に形にしていた。期待以上だった」と話した。更に乱歩から受けた影響について、「子どもの頃に『少年探偵団』を読み、短編や評論も追いかけた。先生は私のミステリーの背骨になっている」と語った。

セレモニー後に生誕地碑の前に集まる(前列右から)有栖川さん、平井さん、辻さんに協力した秋永正人さん、辻さんら

【関連記事】廃医院が“乱歩ワールド”に 生誕地ミュージアムが名張に開館 民間で実現(https://www.iga-younet.co.jp/2025/11/04/108711/)

- 広告 -