【5月に定期受診で病院を訪れた槇野さん(前列左)の手を握る宮田医師(同右)。後列は福森さん(左)と槇野さんが入所する施設の看護師の吉川好己さん=伊賀市上之庄で】

槇野さん「人の一生って、いろいろ」

 95歳女性が重症心不全で救急搬送――。「助からないかもしれない」と家族すら考えざるを得ない状況だったが、三重県伊賀市の槇野文恵さんは力強く回復した。医師の判断で積極的に行った集中治療が奏功し、101歳を迎えた今も元気に歩いて暮らしている。槇野さんは「人の一生って、いろいろあるなあ」と語る。

医師「回復できると確信」

 槇野さんは1922年、同市川西で6人きょうだいの3番目として生まれ、20代で結婚。1男1女に恵まれた。

 42歳の時、夫が突然の労災事故で他界。長男は高校生、長女は小学生だった。槇野さんは、昼間は畑仕事、夜は遅くまで着物の仕立ての仕事などに励み、懸命に生計を支えた。長女の福森恵子さん(72)は「母は小さい体で目いっぱい働いていた」と思い返す。

こもを編む40代ごろの槇野さん(提供写真)

 子どもたちが社会人になってからも、槇野さんは着物の仕立ての仕事を70代まで続け、畑仕事は救急搬送された日の直前までしていた。それまで大きな病気を患ったことは無かったという。

 長男夫婦と3人で暮らしていた95歳の秋、早朝に突然、槇野さんが「苦しい」と訴えた。呼吸困難をきたし、駆け付けた福森さんが119番通報した。

 家族や親戚たちは「もう最期かもしれない」と覚悟したというが、搬送先となった市内の病院で当時、救急外来を担当していた宮田和明医師(44)は諦めなかった。「運ばれてきた時、私の問いに反応できた。畑仕事をしたり、冗談を言って孫を笑わせたりしている話を家族から聞いたので、『年齢の割にしっかりしている』と感じ、回復できると確信した」と振り返る。

ひ孫と念願の初対面

両手でシルバーカーを押して歩く槇野さん

 槇野さんは人工呼吸器を装着するなどの集中治療を受け、約1か月後、元気になって退院した。退院後は、生まれたばかりで会えていなかったひ孫に会うことができた。99歳まで自宅で生活し、今は同市真泥の特別養護老人ホームに入所している。

 100歳を迎えた年には、白内障の手術を受けて成功。一時は新型コロナウイルスにも感染したが、無事に治癒した。

 今年の春も、大好きだという桜の花を施設で見ることができた。「長寿の秘訣は」と尋ねたYOU記者に、槇野さんは「秘訣ってあんた、考えたこともない。自然が生かしてくれる生き物やからなあ」と笑顔で答えてくれた。

家族「精いっぱい孝行を」

 宮田医師は現在、岡波総合病院(上之庄)の循環器内科に勤務し、槇野さんの主治医を務めている。5月の定期受診で、宮田医師の「順調ですよ」の言葉を聞いた槇野さんは「ありがとう、ありがとう」と何度も繰り返した。

 特老ホームの看護師と一緒に付き添った福森さんは「母には世話になったことばかりで、命ある限り精いっぱい孝行したい。長生きできているのは宮田先生や施設の皆さんのおかげ。心から感謝したい」と話した。

 宮田医師は「90歳を超えたら『もう寿命だ』『看取りだ』とも言われるが、それは違う。年齢だけで先入観を持つのではなく、救命できる可能性が1%でもあるなら諦めてはいけないと思う」と話した。

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