【堀や土塁跡を覆う雑木をチェーンソーなどで伐採するメンバー】

「いずれ城見公園に」

 天正伊賀の乱の終戦の地として知られる三重県名張市赤目町柏原の柏原城(滝野城)址の整備が地元ボランティアの手で進められている。

 6月下旬の早朝、長靴を履き、チェーンソーなどを手に同地区の勝手神社に集まったのは赤目まちづくり委員会の「あかめ里山文化保全会」のメンバー11人。10年ほど前から同委員会で城址が整備されてきたが、2020年に同保全会が発足、農林水産省の「里山林の整備と利用」を支援する交付金を活用しながら急ピッチで進められてきた。

 小高くなった城址への進入路は、伐採した大量の竹をチッパーにかけて作ったチップが敷きつめられている。柔らかくて歩きやすいし、雑草を防ぐという。周囲に巡らされた3から5メートルの高さの空堀や、攻めてくる敵に対抗するための石落としの土塁跡、更に石垣が組まれた空井戸などが残っているが、整備前は竹林や雑木が覆っていた。

 23年度から交付金の支援は終了したが、保全会に所属する約20人のメンバーを中心に毎月第2、4日曜の午前中、木の伐採や下草を刈る作業をボランティアで継続している。

 城址の東側のすそ野に広がる平坦な地は城主であった滝野吉政の居館があった場所といい、以前は竹やぶが生い茂り、足の踏み場も無かったそうだが、1本1本伐採してきた。保全会代表の宮本篤さん(65)は「いずれここ一帯にアジサイを植え、説明看板やベンチを置いて城址を見上げる城見公園に整備していきたい」と話す。

 同会は城址から南東に続く竜神山のハイキングコースも整備中。宮本さんは「かつて頂上の山神に参拝した地元民の足跡も消え、時代の流れとともに放置林で景観が一変した。計画の里見峠展望台ができれば、小中学生の遠足も復活できる。本来の里山と人間の関わりを再発見できれば」と楽しそうに話す。

 また「丘陵地である城址の整備によって、災害などの有事には住民が集まる避難場所になるし、イノシシや鹿が寄り付かなくなる緩衝帯として獣害対策にもつながる」という。

 赤目地区には柏原城址の他に松明調進で知られる極楽寺などの歴史にまつわるスポットも多い。「地元の素晴らしい文化や史跡の『宝』を地区住民が大事にし、後世に残していくために汗を流していきたい」と、メンバーは張り切っている。

整備中を示す看板

2023年7月29日付848号20面から

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