【ヒマラヤ登山の思い出を話す高瀬さん=名張市桔梗が丘4の自宅で】

 「若いころ、3000メートル級の岩山が3列に並ぶ北イタリアのドロミティの写真を見てロッククライミングを始め、私の登山人生が始まった。米寿を迎える今、憧れの山を実際に自分の目で見ておきたい」と話す三重県名張市桔梗が丘4番町の高瀬郁夫さん(87)。20代から登山が唯一の趣味だったそうで、今までに国内はもちろん、5000から6000メートル級のヒマラヤの山々に何度も挑戦してきた。

 大阪市出身で、36歳の時、名張市に転居。桔梗が丘3番町で69歳まで薬局を続け、店じまい後、現在地に移った。

 20代前半に「関西山岳会」に所属し登山技術を磨いたが、より先鋭的な山に挑む目的で脱会。仲間5人と「紫岳会」を結成し、ヒマラヤを目指した。

 50歳の時、パキスタンと中国の境に位置し、エベレストに次ぐ世界第2位の高峰「K2」中腹にあるバルトル氷河を20日間にわたって縦走。55歳の時にエベレストを望むネパールのメラ・ピーク(6476メートル)に、69歳の時には9歳下の妻、輝美さん(78)と一緒に、ネパールとインドの国境にあるカンチェンジュンガのベースキャンプ・パンペマ(5135メートル)に登った。

メラ・ピーク登山にシェルパと挑んだ高瀬さん(右)(本人提供)

 これまで計5回、ヒマラヤに挑戦したが、「目指すのはエベレスト登山のべースキャンプで、山の専門家から見ると大したことではない」と謙遜する高瀬さん。

 国内では、長野と岐阜の県境にある槍ヶ岳の北鎌尾根ルートなど、時には危険も伴う上級者コースに挑んだ。鹿島槍ヶ岳の遠見尾根では大雪に遭遇。雪洞を掘り、やっとの思いで山小屋にたどり着いた。その際、右手の薬指の先端を凍傷で失ったという。

 80代になってからは、奈良県桜井市から奈良市まで片道約35キロの「山の辺の道」や奈良市から京都府笠置町まで約30キロの「柳生街道」などを歩いてきた。

 しかし85歳の時に帯状疱疹を患い、その後遺症で今も足裏にしびれの症状があるといい、「もうそんなに長い距離は歩けないし、筋力も弱っている」。

 コロナ禍の現在は週1回、同市下比奈知の「東山ふれあいの森」の周遊コース約5キロを散策。また週2回は近くの桔梗が丘東小児童の下校を見守る他、地元自治会の公園整備など、地域活動にも熱心に参加している。

 山への憧れは今なお強くあり、昨年は夫婦そろって宮城県蔵王町へトレッキングに出掛けた他、北アルプスの山並みを眺めるために長野県まで車で出掛けた。自宅の各部屋には、高瀬さん自身が撮影した100枚ほどの山岳写真が飾られている。「コロナが収束したら、登山を始めるきっかけになった北イタリアの山や国内の名峰を巡る旅をしたい」とまだまだ意欲的だ。

2021年3月13日付791号1面から