「忍者の子孫だと、幼いころから『何となく』聞いていた」という、伊賀市才良の貝野じゅん子さん。新春に放映された歴史ミステリーをテーマにしたテレビ番組に出演したのをきっかけに、忍者としての祖先に改めて思いをはせている。【自宅に残る文書や裃、陣笠などを前に先祖への思いを語る貝野さん=伊賀市才良で】

 歴史について多くを語らなかった父が27年前に亡くなり、蔵や書斎を整理した際、家紋付きの陣笠や2着の裃、数十点の古文書などを発見。「昔、藤堂家に仕えていたらしい」と教えてもらい、そのまま保管していた。

 10年ほど前、「伊賀忍者研究会」(池田裕代表)から「伊賀者の中に『貝野』という名前がある。その子孫では」と尋ねられた。忍者しか持っていない「万川集海」という忍術伝書があることや、江戸時代に伊賀を治めた藤堂藩の特殊部隊の元締めとされる「伊賀者」の中に「貝野」の名があることから、忍者の子孫だと確信。また、過去帳から、初代の「九左衛門」は1580年の天正伊賀の乱で亡くなったこと、貝野さんが13代目に当たることも知った。

テレビ取材転機「資料役立てて」

 昨年秋、池田代表の紹介で、関西テレビ制作の「新説!所JAPAN」という1時間番組への出演依頼があった。戦国武将・織田信長の暗殺と伊賀忍者の関わりを検証する内容だ。

 11月末に貝野さん方であったロケ撮影の際は、歴史学者の磯田道史さん、お笑い芸人の庄司智春さんが来訪。磯田さんによると、陣笠などは江戸時代のもので、藩主が参勤交代の際、江戸詰めでの護衛や江戸屋敷の火番、寝ずの番を務めた。また、普段は地主として生活し、城から呼び出しを受けると「伊賀者」として駆け付けたことなどが分かった。

 更に、貝野家の功績や忍者の諜報活動を記した古文書「伊賀忍流儀伝来由緒」「乍恐書置申上口上之覚」から、当時20石6人扶持(現在の約800万円)の年収で召し抱えられていたことや、彦根藩など他藩に仕える忍者のリスト、ペリー来航以前の異国船漂流などの調査を行っていたという貴重な情報が書かれていることも分かったそうだ。

 「忍者に対して、あまりいいイメージがなかった」という貝野さんだが、番組で取材を受けたことで考えが一新された。明治になり、依那古村の初代村長を務めた曽祖父・幾太郎さんが貝野家最後の忍者となるらしい。番組は1月にフジテレビ系列で全国放映され、評判を呼んだ。貝野さんは「何かの役に立ててもらえたら」と、古文書などの文献や衣装は市へ寄贈し、保管してもらうことを考えているそうだ。

2020年3月14日付 767号 2面から

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