170617_11.jpg 1854年、江戸時代末期に伊賀で発生した「安政の大地震」で、名張市にも大きな被害があった。その時の生々しい実体験を記録した古文書「大地震覚書」を、名張市桔梗が丘1番町の元教員竹内英雄さん(64)がこのほど現代文に訳し冊子にまとめた。【古文書を訳した冊子を紹介する竹内さん=名張市夏見で】


 大地震覚書の筆者は「柏原村(現在の名張市赤目町柏原)の伊三郎」。同書によると同年6月15日(旧暦)の午前2時すぎ、「大砲や鉄砲の音とともに大きく揺れ出した」とあり、筆者が家の外へ出ようとしたが「夏のことなので蚊帳の中で寝ていて慌てていたので気を失い、体が蚊帳に巻かれて外には出られません」と当時の動転ぶりがうかがえる。

 また「年寄りと子どもを何とか抱きかかえて外へ逃げ出し、家族の無事を喜びましたが、女、子どもは泣くばかり……天地も崩れ泥海になるのではと思い、神さまや仏さまを拝むばかり」とある。竹内さんによると、これが本震であったといい、道路は最大で2尺(約60㌢)の地割れがあったと書かれていることから、震度は6から7に推定されるという。

 竹内さんがこの古文書に出会ったのは、定年退職する1年前の59歳の時。当時勤務していた名張小学校(同市丸之内)の隣にあった市史室で複写版を見つけた。「安政の伊賀大地震で、伊賀市の被害状況の記録はありますが、名張市の記録は無いと思っていたので、見つけた時は大変驚き、ぜひ読んでみたいと思いました」と振り返る。

 退職後、時間に余裕ができたため本格的に読みだしたが、原本の複写ということもあり、一部見づらい文字や難解な箇所もあり、古文書の崩し字辞典を傍らに”格闘”する毎日だった。

 古文書によると、本震の後、秋まで余震が続き、同年11月4日には東海地震、翌5日には南海地震も発生。これらの地震による伊賀地域の死者は469人(男201人、女268人)、山崩れ471か所、家屋の全壊1792軒、半壊3284軒という深刻な被害が出たと記録されている。

 竹内さんは1年半かけて冊子を完成。A4判22ページで、古文書の読み下し文の他、現代語訳、児童生徒用教材文と指導案、大地震経過などで構成されている。100部印刷し、市内の幼稚園、小中学校の計21校に贈呈、更に15のまちづくり推進協議会などにも配布した。

 竹内さんによると、資料から読み取れるのは①地震の時は地盤の強い竹やぶに逃げる②倒壊や火災の恐れがある家の中では煮炊きをしない③夜中、盗人には注意する④村の人たちが集まり相談や情報交換をすることだという。竹内さんは「先人の教えに学び、この冊子を学校教育や地域の防災・減災に生かして頂ければ」と話している。

2017年6月10日付701号11面から