乳がん検診の大切さ訴える ピンクリボンサポート女性の25人に1人が乳がんに…。乳がんの早期発見、早期治療を呼びかける企画です。

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連載 第4回:2度めの闘病体験

明るく前向きに

患者会代表 名張市 広野さん
タウン紙編集者として脂の乗り切っていた16年前に乳がん、その翌年には卵巣がんに見舞われながらも一命を取りとめた名張市富貴ケ丘1番町の広野光子さん(66)。自らの闘病体験をもとに立ち上げた全国組織の「がんを明るく前向きに語る・金つなぎの会」代表として、がんの恐怖に苦しむ仲間の相談に応えている。
松阪市出身の広野さんは専業主婦生活20年の後、消費生活相談員を経て、41歳でサンケイリビング新聞社に入社。京阪版編集長として活躍していた1992年、職場の健康診断で左胸に直径1センチのしこりが見つかり初期の乳がんと診断された。医師から温存手術を勧められたが、再発・転移を防ぎ1日も早い職場復帰をと、左乳房全摘手術を受けた。
当時の心境は「不思議と恐怖感はなくて、がん体験を記事に出来ると、むしろ高揚した気分だった」。入院と自宅療養の後、仕事に復帰。しかし、1年も経たないうちに直腸など5か所に転移した末期一歩手前の卵巣がんを病み、手術と1年半にわたる抗がん治療に専念せざるを得なくなった。

愛犬との散歩を日課にするEさん

人に伝えたい
抗がん治療中に、頼り切っていた夫が急逝。生きがいそのものだった仕事もやむなく退職したが、「後の人たちにメッセージとして闘病記を伝えたい」と、新聞紙上で連載をスタートさせた。
連載は3年半続き、記事に共感した患者や家族24人で、自助努力の患者会「金つなぎの会」を95年に発足。わずか1年足らずの間に2つのがんを患った広野さんは、自らをひび割れた茶わんに例え、陶磁器の修復方法の「金継ぎ」になぞらえてつなぎ役の“金”の仲間に感謝の思いを伝えたいと、会の名前をつけたという。

道しるべに
会員は現在1623人。会は「同病相楽しむ」「がんを恐れず侮れず」「天は自ら助くる者を助く」「信ずる者は救われる」「死ぬも生きるも天命のまま」という5つの理念と、「明るく」「強く」「前向きに」「志高く」「華やかに」という5つのモットーを掲げ、会員の生きる道しるべになるような企画を立てている。
「再発転移しないためには免疫力を下げないこと」と広野さん。治療後、四国八十八ケ所巡りで「旅は癒し」を実感。旅の非日常性を積極的に活動に取り入れ、観梅会や温泉など国内だけでなく米国など4か国を訪れ、生きていることをともに喜び合った。活動時には会のイメージカラーであるピンク色の法被を着用するそうだ。
広野さんは乳がんの早期発見のために検診の大切さを強調。自らのがん体験を書いた「きっと良くなる 必ず良くなる」(PHP研究所刊)などを出版した。がんを患って10年後には医者から「もう大丈夫」とのお墨付きをもらったが、今も不安は消えない。しかし、自然治癒力を信じ、生きがいを持ち、日々の暮らしに感謝することが生きる力になっている。問い合わせは広野さん電話0595-63-7674まで。

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