【愛用のカメラを構える山口さん=名張市で】

30歳前にカナダへ

 大阪と名張を拠点に活動する、三重県名張市桔梗が丘南のプロカメラマン、山口敦寛さん(38)。広告写真を中心に、顧客のニーズをくみ取りながら、独特な感性で作品を生み出す。自己のスタイルが確立するきっかけになったのは、8年前にカメラ1台を携えて臨んだカナダへのワーキングホリデーだった。

 高校卒業後に映像制作会社に所属し、関西の民放局の報道クルーに加わって、アシスタントやカメラマンとして働いた。21歳の時にテレビ業界を離れ、大阪の写真家に弟子入りし、モデルや商品など広告撮影の技術を学び、フリーランスで活動した。29歳の時、恩師が海外で経験を積んだ話を聞いていたこともあり、渡航を決断。年齢的にワーキングホリデービザが申請できるギリギリのタイミングだった。

 ワーキングホリデーは、日本と協定を結んでいる外国に働きながら滞在できる制度で、年齢はほとんどの国が30歳までと定めている。山口さんは帰国子女の地元名張の友人に個人指導を頼んで英語を学び直し、年齢制限を迎える直前にカナダのビザを取得した。

 関西国際空港を発った山口さんの荷物は、リュック1つ。中身は一眼レフカメラ本体とレンズ1本、50万円ほどの現金のみ。西海岸の主要都市バンクーバーに到着後の当てはなかった。道行く人に話し掛けて住居を紹介してもらい、仕事はバーの調理スタッフから始めた。

 従業員に、モデルやスタイリストの学生が居た。徐々に人脈を広げ、ポートレートや飲食店の商品撮影など、カメラマンの仕事を増やしていった。数か月後、現地の有名ファッションョーに参加してから人のつながりは一挙に拡大。山口さんの技術が認められ、写真で生計を立てることがかなった。

帰国後に起業

 「バンクーバーは街並みが自然と調和し、至る所がおしゃれ。気さくな人が多く、国籍にとらわれない雰囲気」だという。日本と異なる環境で写真を撮り続けた1年間はやがて終わりを迎え、現地で購入した衣類や家具などは全て売却。空港を発った山口さんの荷物は再びリュックとカメラだけになったが、自分の撮影技術への大きな自信を獲得していた。

 帰国後は再びフリーランスで活動した後、2019年に撮影会社「オリハスタフォトグラフィー」を起業。「見た人の脳裏に、何か一つでも刻む写真を撮る」という思いを胸に、企業から依頼された商品やモデルの撮影を中心に、事業を広げている。赤ちゃんを美しく撮影する「ニューボーンフォト事業」も名張で展開している。

 日本ワーキングホリデー協会によると、制度を利用して日本から渡航できる国はヨーロッパやアジアなど26か国で、渡航者数はコロナ禍前で年間計約2万人いたとみられる。ところがパンデミック後は国境を閉鎖した国もあり、大幅に減少。渡航を計画しながらも実現できなかった人が多いという。山口さんも「私は海外での経験がきっかけで、感性や考え方が大きく変わった。『自分の行きたいところに行ける』、そんな世の中に早く戻ってほしい」と願っている。

山口さんのニューボーンフォトの例(提供写真)

2022年4月23日付818号2、3面から

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