【のどかな風景に溶け込む昭和橋。渡るのは岩本さん=名張市上長瀬で】

亡夫との思い出語る住民

 三重県名張市上長瀬の名張川に架かる、赤いつり橋「昭和橋」。「長瀬のつり橋」の名でも親しまれてきた市内唯一のつり橋だが、国道のバイパス工事に伴い11月ごろ撤去が始まることが分かった。90年以上にわたって愛された橋が、間もなく役目を終える。

 1927(昭和2)年完成の昭和橋は全長33・4メートル、幅1・8メートルで、橋脚がなく、直径5センチほどのワイヤが両端から支えている。82年に約150メートル上流にコンクリート製の「新昭和橋」が完成するまでは、第一線で近隣住民の生活を支えた。

 老朽化に伴い自動車の通行は禁止されたが、住民がバス停や畑に向かう時の近道としてその後も活用されてきた。清流と里山の風景に溶け込むつり橋を撮影しようと、写真愛好家らが訪れることも多かったという。

モデル役を務めた約15年前の写真を手に、昭和橋への思いを語る岩本さん=同
約15年前の写真の岩本さん夫妻

 近くに住む岩本文佐子さん(76)は「つり橋にはたくさんの思い出がある」と語る。初めて昭和橋を渡ったのは66年1月の嫁入りの時だった。結婚式場から乗ったタクシーを橋の手前で降り、夫の衛さん(故人)や親族らと一緒に渡った。生まれて初めて出会ったつり橋で、上下左右にゆらゆら揺れ、「本当に怖かった」と振り返る。

 岩本さんは2男1女に恵まれ、つり橋は子どもたちにとって絶好の遊び場になり、長瀬小学校への通学路にもなった。対岸の集落に住む一人暮らしの親類の世話が必要になった時期は、岩本さんが毎日、橋を渡って食事を届けた。新昭和橋が完成してからも、畑や集会所に行くための近道として利用を続け、カメラマンが訪れるようになると、夫婦で橋を渡るモデル役を務めたりもした。

国道拡幅で新橋建設

 2007年、名張川に沿う国道368号の拡幅工事が長瀬‐上長瀬の2000メートル区間で着工し、新橋の建設に伴う昭和橋の取り壊しも計画に盛り込まれた。子どものころからこの橋にひと際愛着を持ち、上長瀬区長も務めた衛さんは「地区の子どもが少なくなり、日常的に渡るのは、もはや自分と妻だけ。猿の方が多く渡っているくらいだ」と、寂しさをにじませながらも、撤去を受け入れる様子で語っていたという。

 県伊賀建設事務所によると、撤去開始は長い間遅れていたが、今年度ようやく予算がついたという。岩本さんは「懐かしい思い出がたくさんあるが、いつまでも安全な状態を維持することは難しい。地域の将来のための新しい橋が完成する様子を、主人の代わりに見届けたい」と語った。

2021年9月11日付803号1面から

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