澤村甚三郎保祐

最後の伊賀者 大仕事を
ペリー来航で黒船を偵察

 澤村甚三郎保祐(さわむら・じんざぶろうやすすけ)伊賀町には伊賀者が住んでいた中世城館が今も多く残り、中でも一段と見事な中世城館がある。戦国時代からの忍家の存在を今なお偲ばせる澤村家である。

 澤村家は約2000坪の敷地に、石垣が重厚に正面を覆い周囲を4mの土塁に囲まれ、北側の堀は二重で、屋敷内は逆ほうき状の樹齢何百年ものケヤキを始め、藤堂高次より譲り受けたと伝わる伊予松、火薬の防湿紙を作る渋を取っていた信濃柿などの様々な樹木が邸内狭しと繁る小さな森だ。中央に茅葺きの屋敷があり、屋敷前は木々が繁り道も七曲がりで外観から屋敷は見えないよう工夫されていたという。

 家伝では神護景雲3年(763)に春日神社が勧請された時より川東に住み、天正伊賀の乱の際に近隣の伊賀衆と共に壬生野城に立篭もり信長勢と戦っている。藤堂高次時代より幕末までは代々伊賀者役として一揆の探索や異国船の偵察をしている。

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 特筆される事は嘉永6年(1853)ペリーが浦賀来航の際、甚三郎保祐は老中の命により黒船探索をしている。時の老中阿部正弘は藁をもすがる思いで、幕府伊賀者でなく本場藤堂藩に最高の伊賀者に黒船内を探索せよと命じた。

 決して表に現れないのが忍びであるが、この時、甚三郎はまさに最後の伊賀者としての大仕事を国家的大事件、黒船来航という表舞台で行った。オランダ語の2通の手紙が乗船の証拠として残っており、他にも忍術関係の古文書や花火、狼煙、爆発物、松明、狼煙等の製造文書、完成品も多く残る。
写真=澤村氏館跡(伊賀町)

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筆者プロフィール
池田 裕
 伊賀在住の忍者研究家、郷土史研究家。自称「伊賀上忍」忍者の生き方を現在に応用する忍者学(Ninjalogy)を提唱し、狼煙、水蜘蛛実験などの忍術を科学的に検証し実践する。情報収集発信やサバイバル術を子供達を元気づける目的で教える。伊賀忍者研究会会長。伊賀暮らしの文化探検隊隊長。伊賀びとのおもい実現委員会委員。

写真提供=伊賀流忍者集団「黒党(くろんど)」

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