YOUが送るオンライン読み物「シアワセを感じる100歩」

一緒に、前へ。

48.jpg報道のカメラが被災地を映し出す。瓦礫と化した町......。
 画面に見入っていた祖母は「あの時を思い出すなあ」と涙ぐむ。
 実家は、阪神淡路大震災で被災した。
 祖母が思い起こすのは16年前の記憶だ。
 悲しみの中にも続く被災地での生活。
 余震のため夜も眠れない。
「疲れ切ってたわ。それでお風呂屋さんに行くことにしたんよ」と、祖母。
 一部復旧した電車に乗って、祖母と母は震災後初の外出をした。
「お風呂屋さんの近くの駅、初めて降りた駅やった」
 見知らぬ町に降り立って銭湯を探し出すと、そこは夜の街で働く女性で一杯だった。
「全く勝手がわからんかった。そしたらお姉さん方が言葉をかけてくれて」
 場違いな2人が被災者だと知って、皆が話を聞いてくれたという。
「ジュースももらったんよ」と、祖母は微笑む。
「それから被災地から離れた美容院へ行ったとき。知らない顔の私らに店の人が親切にしてくれて。ほんま、生きた心地がしたわ」

 阪神間の人たちは「戦前、戦後」というように「震災前、震災後」と記憶を辿ることがある。
「あの時」が深く刻まれているからだ。
 記憶の中にはもちろん、心に沁みた優しさもある。
 だから祖母は「あのジュースはおいしかったなあ」と、16年経った今も繰り返す。
 それは「生きた心地」の、鮮明な記憶なのだ。

 今回の地震の後、私は他国からのメッセージに接した。
 中断していた日本語指導を再開しようと、言語学習者用のサイトに行ったときのことだ。
 そこには各国の人が集まっているのだが、知らない人までが一斉に、日本人の私に言葉を送ってくれた。
「大好きな日本がこんなことになって、テレビの前で泣きました」と、フランスの女の子。
 アメリカの高校生は「学校で募金活動をしてるんだ」と言い、中国の大学生は「四川大地震の恩返しがしたいと皆で考えてるよ」と話した。
 様々な国、つまりあらゆる宗教国の人たちから、「神に祈りを捧げています」とも。
 どれだけの神の視線が、日本に向いていることか。
「ありがとう」と答え、彼らの言葉を記憶した。 

「がんばろう、ニッポン!」これは今、ほとんどの日本人が共有している言葉だ。
 大勢の人が、自分が今出来る事を考えているのもそのためだろう。
 被災地の人たちに寄り添う言葉も伝えられている。
 それが善意とは限らない、という人もある。
 しかしこんな時こそ斜に構えず、真正面からとらえたい。
 一緒に、前へ。
 ......そうした「言葉」は復興のエネルギーにもなるのだから。

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執筆者・坪田多佳子プロフィール

1963年東京生まれ。ライター、小論文及び国語科専門プロ家庭教師。
「シアワセ感じる100歩。」は、2007年4月から2009年3月、朝日新聞の姉妹紙「RAKU(楽)」に掲載し、好評を得た。現在は「YOUよっかいち」の紙面と伊賀タウン情報YOUホームページで連載中。
日常生活で見つけた小さなシアワセをテーマに「~を楽しむ。」と題して1か月に1歩ずつ歩み続け、「100歩。」達成を目指す。
YOU紙面へはピンクリボンの記事も出稿。
趣味は読書、料理、英会話。インターネット上で、日本マニアの外国人に日本語を教えたりもしている。
家族は夫、息子、娘。松阪市在住。