YOUが送るオンライン読み物「シアワセを感じる100歩」

「名づける」を楽しむ。

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「虫は苦手だ」と第18歩に書いた。特に弱いのは「夜徘徊する黒いヤツ」だとも。今年は家ですでに一戦を交えたが、一匹仕留めるのに30分もかかった。
だから生徒宅で教えている最中ヤツに遭遇したときも、センセイらしく毅然と立ち向かうなんて土台無理な話。蟻に怯える象のようにただ震え、勇敢に戦う生徒に向かって遠巻きにエールを送るのが精一杯だった。

見事な一撃で勝利をおさめた生徒。何もしていないのに息切れする私に「蜘蛛も苦手ですか?」と質問した。
「蜘蛛?小さいのなら触れるかも」と答えると、彼女は目を丸くした。
「私は苦手です。あれだけはダメ」。
タランチュラと言われると怯むが、基本的に私は蜘蛛が平気だ。蜘蛛は昆虫ではないけれど、「蜘蛛恐怖症」があるくらい恐怖の対象になり得る生き物。しかし平気なのにはちょっとしたワケがある。

小学生の頃の話だ。生き物とはあまり縁がなかった東京での暮らしが、一家で大阪に引っ越してから変わった。一番の驚きは蜘蛛の多さ。家の中まで小さな蜘蛛がしょっちゅう入ってくるのだ。もちろん私は悲鳴を上げた。蜘蛛を見るたびに母を呼んだ。初めの頃は追い払ってくれていた母だったが、あまりにも頻繁だったため、面倒くさくなったのだろう。ある日彼女はこう言った。
「蜘蛛はね、友だちなのよ」。
トモダチ??私は耳を疑った。
「蜘蛛は害虫を食べてくれるから人間の味方。だから友だち」。
味方というのは本当かもしれない、と小学生の私は思った。とはいえ、友だちというのはちょっと。すると母は、蜘蛛を指差して「この子の名前はタロウよ」と、いきなり名前までつけたのだ。それからは蜘蛛を見ても彼女は「タロウちゃん、元気そうね」とフレンドリーに話しかけるだけで、追い払うこともしなくなった。母がそんな風だと悲鳴も上げにくい。ついに私も、どの蜘蛛を見ても(あ、タロウちゃんだ......)と平気になったのだった。

名前って不思議だ。「蜘蛛」という総称を持つ生き物が名前を持つと、タロウとワタシの関係性が浮かび上がる。「タロウ」と呼ぶワタシ。呼びかける誰かがいるからこそ生まれる名前。「名前」が様々な作品のテーマになるのも、そんなところに理由があるのかも。

思えば、隣家の犬を名づけたのも母だ。隣の家の子が、拾ってきた子犬を母に見せたとき「かわいいわね!コロ~、おいで」と勝手に呼んだらしい。(コロなんだ......)と隣家ファミリーが納得するのもどうかと思うが、その日から子犬はコロとなり、母は隣家の犬を溺愛した。

「名づけ」によって親しみがわくのなら、苦手な虫も名づけるか。友人の息子が飼っていたカブトムシ夫妻は「武蔵」と「ジェーン」。では例の黒いオイリーな虫は?と考えたら、ふいに飲食店の隠語を思い出した。飲食店ではヤツを「ジョニー」と呼ぶのだと聞いたことがある。でもそんな名前で呼んで、うっかり愛情なんかがわいたりしたら?私はジョニー・デップのファンなのに?......絶対に呼べない。一生駆除できなくなって、とても困る。

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執筆者・坪田多佳子プロフィール

1963年東京生まれ。ライター、小論文及び国語科専門プロ家庭教師。
「シアワセ感じる100歩。」は、2007年4月から2009年3月、朝日新聞の姉妹紙「RAKU(楽)」に掲載し、好評を得た。現在は「YOUよっかいち」の紙面と伊賀タウン情報YOUホームページで連載中。
日常生活で見つけた小さなシアワセをテーマに「~を楽しむ。」と題して1か月に1歩ずつ歩み続け、「100歩。」達成を目指す。
YOU紙面へはピンクリボンの記事も出稿。
趣味は読書、料理、英会話。インターネット上で、日本マニアの外国人に日本語を教えたりもしている。
家族は夫、息子、娘。松阪市在住。