YOUが送るオンライン読み物「シアワセを感じる100歩」

「乗る」を楽しむ。

006.jpg名古屋へ向かう列車に乗った。2人掛けシートが向かい合う座席の片側に座る。私の正面には、4、5歳くらいの女の子と1歳くらいの女の子、そしてそのお母さん。妹はお母さんの膝の上で絵本を読んでもらっている。絵本のタイトルは「がたんごとんがたんごとん」。なんとこの場にふさわしい絵本だろう。妹は目をくるくるさせながら、絵本に見入っている。お母さんが、やさしい声で読み進める。がたんごとん。列車の音がそれに共鳴する。同じ箇所を指差して、もう一度読んで、とねだる女の子を見ていたら、私もかつて、幼かった子供たちによく本を読んだなあと、懐かしく思い出した。

本はたくさんあるのに、子供はきまって同じ本を持ってきて、読んでほしいと言った。暗記するほど読まされるので、読む方はだんだん飽きてくる。正直言ってつまらない。「そうだ、どうせなら本格的に朗読の訓練でもしてみようか。いつか舞台に立っても困らないように」などと予定もないのに考えた。登場人物の声は全部変え、思い切り演劇調に読んでいく。小道具で音を出したりもして。特に恐ろしげな登場人物のセリフには力が入り、たまに、いたいけな子供を震え上がらせたものだ。

「わーい!」突然、横の座席から歓声が聞こえた。5歳くらいの男の子が、お母さんに正義の味方らしきフィギュアを出してもらっている。「次は、何かな?」お母さんは、彼のリュックからもうひとつフィギュア取り出した。男の子はたちまち2体の司令官となり、世界征服をたくらむ巨大な悪と戦い始めた。彼のまわりはすっかり異空間。車内は移動する戦闘の場だ。がたんごとんの効果音。手すりはしばし、切り立った崖や橋になったりしている。「静かにね」というお母さんの言いつけに従って、彼が小声で見えない敵と戦っているのが可愛い。車内で子供が飽きないようにとのお母さんたちの工夫には感心する。たぶん、絵本やヒーローなんかについて、かなりの情報通なんだろう。だとすると、案外お母さんたちも、子供といっしょに想像の宇宙に入り込んでいるのかもしれないな、と思った。

どうやら、どちらの親子もおばあちゃんのうちを訪問するらしい。前に座ったお母さんが言った。「もうすぐよ。おばあちゃんのうちが、ほら、見えてくる」子供たちがちょっと飽きだしたところで、タイミングよく注意をひきつける。「もうすぐ、もうすぐ」子供の気持ちが、期待へと変わる。「これ、車庫に行くんだよね」男の子が思いついたように言った。前の席のお姉ちゃんは、男の子の一言が耳に飛び込んでくるや否や、自分のお母さんに質問した。「シャコってなあに?」お母さんは「電車が眠るところ。お客さんをみんな降ろしたら、電車は車庫に入るのよ」と説明した。

車掌さんが、もうすぐ名古屋だということを告げた。お姉ちゃんがなぜかそわそわし出し、席を立とうとしている。お母さんに「あわてなくても大丈夫よ。終点だから最後に降りてもいいんだからね」と言われると、「だって、あたし、シャコにいっちゃうといけないもん」と訴えた。なるほど、車庫行きはまずい。おばあちゃんが待っているものね。おかあさんは「そんなことにはならないわよ」と柔らかく笑い、手早く女の子に身支度を整えさせた。がたんごとんがたんごとん。列車がゆっくりと駅に入っていった。

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執筆者・坪田多佳子プロフィール

1963年東京生まれ。ライター、小論文及び国語科専門プロ家庭教師。
「シアワセ感じる100歩。」は、2007年4月から2009年3月、朝日新聞の姉妹紙「RAKU(楽)」に掲載し、好評を得た。現在は「YOUよっかいち」の紙面と伊賀タウン情報YOUホームページで連載中。
日常生活で見つけた小さなシアワセをテーマに「~を楽しむ。」と題して1か月に1歩ずつ歩み続け、「100歩。」達成を目指す。
YOU紙面へはピンクリボンの記事も出稿。
趣味は読書、料理、英会話。インターネット上で、日本マニアの外国人に日本語を教えたりもしている。
家族は夫、息子、娘。松阪市在住。