YOUが送るオンライン読み物「シアワセを感じる100歩」

「味わう」を楽しむ。

021.jpg友人Jは、器に無頓着である。コーヒーもワインも同じマグカップで飲む。そんなの、味噌汁のお椀でコーヒーを飲むのと大差ない。「嗜好品は味わうためのものなんだから、器も大切よ!」と説得を試みるが、Jは「飲むのにロマンが要る?器って重要かなあ」と言う。そこでJに、私のコーヒー物語を聞かせることにした。

小学6年生のとき住んでいた街に、本格的なコーヒーショップがあった。母は時々、買い物帰りに私を連れてその店に立ち寄った。カウンター席しかなく、子どもにとっては高すぎるテーブルに肘をつき、店内を眺めるのが好きだった。飾り棚にはきらめくコーヒーカップ。大人の空間に浸りながら、思い出すドラマのワンシーン。...カウンター席の女性が「何にします?」とバーテンダーに聞かれ、静かに言う。「いつもの」。そしてすっと琥珀色の飲み物が彼女の前に置かれるのだ。そのセリフに憧れていた私は、ある日マスターの「何にする?」を聞くや否や言ってみた。「いつもの」。出されたのはマグカップ入りのココア。気取ってココアを飲み始めたが、何かが違うと思った。ココアの器は優雅じゃない。ココアは大人じゃないんだ。そして、次の機会に初めてコーヒーを頼んだのだった。「ロイヤルブレンドがいいよ。やさしい味だから」と、マスターが言った。ロイヤルブレンド。大人の響きだ。綺麗なカップを取り、コーヒーを口に含む。苦かったのに「おいしい」と思った。

以来、毎朝コーヒーを飲むようになった。でも、中学校の修学旅行中はさすがにコーヒーにありつけない。旅行2日目のことだ。泊まったホテルのラウンジの脇を通るとカウンターが目に入った。お酒のグラスと共に、洒落たコーヒーカップもある。壁には、朝、香り高いコーヒーを出すというお知らせも。私は即座に決意した。皆の起床は7時。6時に起きてこっそり朝のコーヒーをいただく計画だ。興奮していたので、5時半には目が覚めた。足早にカウンターに向かい、周囲を気にしながらコーヒーを注文し、飲む。口一杯に広がる香り。幸せだった。満足して部屋に戻ると、友人Oにどこへ行っていたのかと聞かれた。説明するとOは「私も行ってくる~」と部屋を飛び出した。「この時間じゃ無理だって!」と止めるのも聞かず。遅いなと思っていると案の定「カウンターでコーヒーを飲んでたら『何してるのかなー』と先生が横に座ってきた」という。大目玉をくらったが私の名前は明かさなかったそうだ。彼女に「おいしかった?」と聞くと「もちろん」と言ってニヤっと笑った。

「だからね、嗜好品は器とか妄想とか冒険とかで、おいしくなるわけよ」と私は力説した。Jは頷きつつも「でも、器を換えるの面倒くさい」。私のコーヒー物語は無駄話に終わったのだった。しかし最近、ワイングラスに入った温かいコーヒーという驚きの写真を見た。アイリッシュコーヒーだとか。それならマグカップに入れるお酒もある?と思って調べると、あった。エッグノッグというお酒。つまりJのずぼらにも一理あるわけだ。結局、好きに味わえばいいってことね。嗜好品なんだから、と深く納得した。

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執筆者・坪田多佳子プロフィール

1963年東京生まれ。ライター、小論文及び国語科専門プロ家庭教師。
「シアワセ感じる100歩。」は、2007年4月から2009年3月、朝日新聞の姉妹紙「RAKU(楽)」に掲載し、好評を得た。現在は「YOUよっかいち」の紙面と伊賀タウン情報YOUホームページで連載中。
日常生活で見つけた小さなシアワセをテーマに「~を楽しむ。」と題して1か月に1歩ずつ歩み続け、「100歩。」達成を目指す。
YOU紙面へはピンクリボンの記事も出稿。
趣味は読書、料理、英会話。インターネット上で、日本マニアの外国人に日本語を教えたりもしている。
家族は夫、息子、娘。松阪市在住。