「問う」を楽しむ。
パンの外袋に付いたシールを集めると、景品がもらえるといううれしい時期がある。ちょうどその頃、母に頼まれ実家の近くのパン屋へ行き、シールつき食パンを買った。パンを受け取ろうとしたその時だ。いきなり店の人が袋のシールを剥がし、店の壁にあった台紙に貼り付けた。彼女は顔見知りではあるが、あんまりではないか。憮然としている私に彼女は言った。「あなたのお母さんに『私、シールを集めたいのに、忘れてすぐに捨てちゃうの。どうしたらいいかしら』って聞かれたの。だからここで集めることにしたのよ」と。なんだそうだったのか。見ると台紙には母の名前が書かれている。それにしても「どうしたらいいかしら」も何もいるんだったら捨てなきゃいいのだ。そこを敢えて質問するとはいかにも母らしい。店の粋な回答に感心しつつ、案外自己解決できそうな物事でさえ、人に聞いてみると思いがけない答えが得られるのかもしれないなあ、などと思った。母は、どこへ行っても他人と10年来の友人のように会話をする。70を過ぎてもその社交性は一向に衰えない。好奇心旺盛なので、すぐに問いかける。答えを期待する表情を向けられると、問われたほうはつい語ってしまう。これが大抵会話の糸口になるようだ。だから彼女は、普通お客には教えないんじゃないかと思うような旅館の一品料理のレシピを持っていたり、小売してそうにない商品の小分けを手にしていたりする。そういえば、散歩に出たときは手ぶらだったのに、帰りには土つきの大根を持っていたこともあった。
問いはもちろん私にも向けられる。例えば目新しい料理を作って食べてもらうと、必ず「どうやって作るの?」と問う。作り方をメモして自分でも挑戦するようだ。料理を振る舞った側としてこれほど嬉しい質問はない。ひょっとすると、ここに質問の秘訣があるのかもしれない。
最近、私も「問う」ことの面白さに気づき(歳のせいではないことにする)人に物を尋ねることへのちゅうちょがなくなってきた。昨日はスーパーで魚をさばいていた人に「簡単なのに見栄えがよく、美味しい料理をご存知ですか」と聞いてみた。「奥さん、ずぼらだねえ」と言いながら、彼はすらすらと2つのレシピを教えてくれた。やっぱり魚のプロは違う。こんな風に、質問し慣れてくると、時々聞く相手を間違える。店員だと思ったら一般客だったり、地元の人だと思ったら外国人だったり。とても気まずい。「あらごめんなさい。お店の方じゃないの?でもあなた、どちらの商品がいいと思います?」と、見当違いの相手と会話を続けられる母のレベルには、私はまだ達していないようである。


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