YOUが送るオンライン読み物「シアワセを感じる100歩」

「読む」を楽しむ。

017.jpg暑いときには本屋へ行く。涼を取るのには最適の場所だ。近頃はベンチを置いた本屋もある。立ち読み厳禁どころか、どうぞお座りくださいだなんて気が利いている。ある本屋は、本を買うとコーヒーをくれる。うれしい限りだ。今日も1時間以上本屋にいて、時間とともに懐具合も忘れた。「本屋イチオシ!」といった手書きの宣伝文句につられ、予定外の本までつい買ってしまうのだ。出版社の売り込みも巧みだ。太宰治の「人間失格」の文庫本カバーに、映画にもなった「デスノート」を描いた漫画家のデザインを起用して売り上げを伸ばしたと聞いた。もっと売ろうというところか、他の文学作品にも漫画家デザインのカバーがかかっていた。その中の1冊、中原中也の詩集に手を伸ばしたのは、漫画雑誌を小脇に抱えた高校生。ワナにはまるのは私だけではないらしい。

文庫の棚の脇には、翻訳ロマンス小説のラックがあった。懐かしい。高校生のとき、この出版社発行のロマンス小説「ブルージャスミン」が、学年の女子生徒を熱狂させた。主人公は、褐色の肌を持つ王子カシムとアメリカ人女性ローナ。環境も文化も違うためか、反発しあう2人。しかし次第に惹かれあい、最後には結ばれるといった筋立てだった。ドラマチックなストーリーはたちまち評判になり、クラスの読者全員を酔わせた。その本は、他のクラスへ渡り、カシム熱は学年中に蔓延した。牛乳の自販機の前では王子の肌の色を連想し、「カシムにしよう」といってコーヒー牛乳を買うクラスメートも現れ、ついには多くの女子生徒が、コーヒー牛乳にうっとりするという異様な事態になるほどだった。

侮れない本の魅力。何がきっかけで本に溺れるかはわからない。また、それがどんな風に発展していくのかも。好きな漫画の背景を知りたくて、歴史書を読みあさった友人がいたし、カシム熱が中東への興味に変わり、研究者になった友人もいた。「この本は、こう読みなさい」との指南に従って読むのも大切だ。でもやっぱり「読みたい本を読みたいときに、楽しめる本を存分に」というのがいい。水を飲むように、本を読みたい。

カシム王子との思い出に浸っていると、5歳くらいの少女がぱたぱたとやってきて、ロマンス小説のラックの前に佇んだ。パールのカチューシャとネックレスを身につけた少女には、本の表紙のイラストがお姫さまと王子さまに見えたのだろう。彼女はおもむろに1冊を選び、その場に座り込んだ。官能的な美女とワイルドな男性が熱く見つめあう表紙。少女の選択の基準が気になる。彼女は立ち上がるとお母さんのところにロマンス小説を持っていき、買って欲しいとねだった。お母さんは「ちょっと大人っぽすぎるわねえ」と言って本をラックに戻した。夢見る小さな姫はお母さんに手を引かれ、児童書コーナーに消えた。

私も子どもの頃、「眠れる森の美女」を宝物にしていた。挿絵が美しい本だった。水を飲むようにおとぎ話を読み、夢をどんどん吸い込んでいたあの頃。だが、たった今買った本は、「殺人○○○」。枕元にあるのは、「魍魎の○○」。私は一体、何を吸収しているのだろう......。

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執筆者・坪田多佳子プロフィール

1963年東京生まれ。ライター、小論文及び国語科専門プロ家庭教師。
「シアワセ感じる100歩。」は、2007年4月から2009年3月、朝日新聞の姉妹紙「RAKU(楽)」に掲載し、好評を得た。現在は「YOUよっかいち」の紙面と伊賀タウン情報YOUホームページで連載中。
日常生活で見つけた小さなシアワセをテーマに「~を楽しむ。」と題して1か月に1歩ずつ歩み続け、「100歩。」達成を目指す。
YOU紙面へはピンクリボンの記事も出稿。
趣味は読書、料理、英会話。インターネット上で、日本マニアの外国人に日本語を教えたりもしている。
家族は夫、息子、娘。松阪市在住。